映画「シン・ウルトラマン」活劇と思わせて、またも官僚群像劇からの対話ドラマへ。主役は斎藤工から長澤まさみに移り、まさかの山本耕史に着地する不思議な興奮。史上最高の山本耕史が「私の好きな言葉です」
プーチンは戦争開始数か月以内に暗殺、もしくはクーデター派に拘束されると信じていたが・・
終わらない戦争のせいで映画を見る気力を失せていたが、「シン・ゴジラ」チームの実写映画であれば待っていられない。
TV版ウルトラマンをリアルタイムで見た者としては昭和SFへの郷愁がある。
何といっても2016年「シン・ゴジラ」の熱気を今でも覚えている。
東日本大震災後の危機管理(地震・津波・放射能)意識が残る中「ゴジラ」の出現とそのコントロールを為政者側から描く斬新さと、暴れまくるリアリティを大スクリーンでのみ体感できる面白さに邦画で初めて堪能した。
そのチームが作る、新たな危機管理パート2なのだから期待しない方がどうかしている。
脇に今年最高の映画だった「ドライブ・マイ・カー」の西島が出るし
予告で見た長澤まさみのスーツ姿も様になっていた。
さらに、GW前にオープンしたばかり「ららぽーと福岡」
東宝シネマズには九州初の轟音シアターができているではないか。これは行かねばならない。
シュワッツ。
巨大ガンダムには何の興味もないが、立駐内の位置確認には最高のランドタワーになっている。帰りは本当に車まで迷わなかった。イメージの勝利だわ。
平日にもかかわらず人が多い。コロナ前に戻った感がこのモールにはある。
出来たての映画館は心地良い。
料金は(轟音は追加料金がないのだ)1200円なのにパンフが2000円オーバーでどうかしてる。
このアンバランスはウルトラシリーズのメタファーか?
客席は4割。月曜日のお昼にしては多い。前方スクリーンに轟音マークのスピーカーが数台ある。座席も大きく、短い足も延ばせる。
環境は整った。
ブザーが鳴る。
あらすじ)
巨大不明生物=禍威獣(カイジュウ)が次々と出現するようになり、混乱を極める現代日本。
対抗するため、政府は、防災庁、および専従組織「禍威獣特設対策室」(通称:禍特対(カトクタイ))を設立する。
やむことのない禍威獣たちの攻撃によって、人類が限界を超えそうになった時、大気圏外から謎の巨大な人型飛翔体が現れた─。
禍特対メンバーのひとり、神永新二。警察庁公安部より出向した優秀な国家公務員だが、メンバーと協調せず、一匹狼的な行動をとる謎の多い人物だ。
ある日、神永のバディ(相棒)として新たに禍特対に着任した分析官・浅見弘子は、神永の秘密を知ることになる・・・
冒頭からウルトラQでお世話になった怪獣たちが出てくる。
この数分で日本にだけ現れる不思議と、対応できている優秀さを存分に感じる。
画面テンポの速さ、官僚用語の多さが情報処理が追い付かない6年前を思い出されて、庵野=樋口モードが既に心地良い。
この感覚は洋画含めて滅多に味わえない。
また例によって登場人物のプライベート描写はない。
この振り切り方がお涙頂戴過多の邦画にない素晴らしさ。
現代日本、泣いてるヒマなぞありはしないのだ。
さて、放射能を食べる新怪獣の出現に絶体絶命。
そこに突然、空からウルトラマン登場。
ラインマーカー跡の様な光線が山を破壊してゆく。
ゴジラは社会を壊すが、こっちは人助け。
しかし何故? 何で知ってる? どこから来たの?
TV版知ってるから何てことないけど若い世代は???だらけだろう。
しばらくするとが宇宙人が本部に突如現れ日本語を話す。
情報処理がかなりキャパオーバーしているのでもはや気にもならない。
しかし長澤まさみの〇〇には驚いた。
こういう展開は予想外で日本映画史に残る歌舞伎ものだ。
「空想特撮映画」のキャプションはこのことだったのか。
目じりの皺まで見えて実に美しい。日本女子は素晴らしい。
斎藤工の背景が描かれないから共感が生まれない作りになっている。
半分人類の斎藤より、匂い、スカートの中、尻つねる、が気になる等身大のキャリアウーマンに興味と共感が移る。
ここで主役が完全に入れ替わった。
ところがだ。
あの山本耕史がいつも以上の微笑で、メフィラス星人として登場。
美しい日本語と数々の慣用句を操り、これまで見てきたどの宇宙人役者をもしのぐ存在感で場を支配する。
白眉は半宇宙人の斎藤ウルトラマンと宇宙人同士で
車で、公園で、人類の運命に関わる問答が始まる。
何だこれは。
突如2人は居酒屋にいて酒を酌み交わす。
シュワッツ。
これはコメディか? 夢か?
山本メフィラスの去り方の潔さ。
これは別のヒーロー譚ではないのか。
活劇+官僚群像劇と見せかけて
宇宙人の思考を楽しむ対話ドラマに変わっていた。
庵野脚本の変化球の見事さ。
やられた。
ここで終わらず、仲間ウルトラマンによる計画はこのドラマでは蛇足では?
仲間が地球史上一番の悪者じゃないか。
様々な謎と伏線は回収されず、肩透かしはあったものの
山本メフィラスの微笑みと言葉が印象的に残る。
観終わって、屋上の空を見上げた。
長澤まさみがビル間にいやしないかと。
90点
傑作映画シリーズ100本|No 004 「ジャッカルの日」フレッド・ジンネマン監督 大統領暗殺の攻防をテロリストと警察双方の手の内を淡々と描くドミュメンタリータッチの極北
どうしたらプーチンを倒せるか?
もはや西側に出てくることはないだろう。
(中国や北朝鮮、イラン、インドなど独裁国家や武器輸出国くらいか)
とすれば
1、ロシア軍内部で反プーチン勢力による暗殺
(1944.7.20 ワルキューレ作戦:ドイツ軍将校によるヒトラー暗殺計画)
2、1人か複数での暗殺
(1963.11.22 ケネディ大統領暗殺:オズワルド単独犯行は疑わしい)
自爆テロは爆弾チェックが100%なので近ずくことさえ不可能だろう。
武器入手のしやすさ、情報漏洩リスクを軽減ならば
ロシア国内にロシア人として潜む反プーチン確信犯による
遠距離からのライフル狙撃か
軍人・警備警護官によるアサルトライフル連射が最も成功確率が高いだろう。
1973年の映画公開以降、テロリストと公安当局のバイブルとなった「ジャッカルの日」が今月に入って世界中で再ブレークしている。
考えていることは皆一緒だ。
あらすじ)
ドゴール大統領暗殺に失敗したOASは壊滅状態となり、内部の動きを察知されたことから、外からプロを雇うことを決める。男の名。
ジャッカルはドゴールの資料を調査し、一年のうち一度だけ、絶対に群衆の前に姿を見せる日があることを発見してそれを依頼決行日と決める。
ヨーロッパを移動しながら狙撃銃を特注、偽の身分証、パスポート、衣装、小道具、入出国経路、車などを用意する。
一方、フランス公安当局は、OASが外部の暗殺者を雇ったこと、その人物が「ジャッカル」と呼ばれていることを知る。
捜査は、実績豊富なルベル警視に一任され、暗殺決行日までの頭脳戦が始まった。
発端は原作フレデリック・フォーサイスの小説から入った。
中学生の時に初めて読書のリアリズムに触れた。
小学生のヒーロー、明智小五郎やホームズとルパンではミステリーの面白さはわかっても世界の仕組みはわからない。
直ぐに映画になって、今でも年に1回は見ている。
70年代の傑作は何回見ても面白いのだ。
サスペンスの全てが詰まっている。
確実な準備をしながら、邪魔な者は消していく。その手順が心地いいのだ。
テロリストの過去も家族も感情も描かない。
ただその仕事ぶりを迫っていく。
無駄なシーンが本当にない。
ジョークも笑いも涙もなくとにかく乾いている。
情け容赦ない殺人マシーンとしてのジャッカル。
一方、パッとしないルベル警視がどんどんジャッカルに迫る人柄合戦が、頭脳戦と同等に面白い。同じヨーロッパでもイギリス人(と言われている)とフランス人の違いか。
ただヨーロッパをテロリストが移動するだけのドラマに、これほど集中させるのはフレッド・ジンネマンの手腕だ。
同じ70年代の「ジュリア」も幼馴染が大人になって戦う女になり、不穏なヨーロッパの旅がサスペンスでいっぱいになる。
1を語っただけなのに、その背景の10を知らしめる。
本物の映画作家だけが持つイメージ喚起力。
さて
プーチンは毎年さまざまな記念日に民衆の面前に現れる。
自己顕示欲100点しかない男が世界に怯えを見せるはずがない。
ここしかない。
モスクワの衆人環視の中で殺されてこそ、民衆蜂起が起こる。
武器が「AK-12」でならカラシニコフの血統を引き継ぐロシアの数少ない輸出品であるし、戦争犯罪者にふさわしい皮肉なめぐりあわせとなる。
独裁者は世界のカメラの観る中、ロシア人により、ロシア製で、完全に排除された、と。
暗殺者に逃げ道はない。
最初から、殺す代償に死ぬ、片道切符なのだ。
しかし世界の至る所に名が残る。
正義の人として。
ウクライナに栄光あれ。
映画「TENET」理解不能にしておいて物語を再確認させる悪徳商法か?難解さと映像逆回しを見せたいだけの時間泥棒。さらばクリストファー・ノーラン。
3ヶ月ぶりに映画館へいく。
土曜日の好天の昼間、ど田舎ショッピングモールは完全に復活し渋滞。
監督クリストファー・ノーラン作品にはほぼ感心したことがない。
世間で言われる過剰な評価がさっぱりわからない。
この監督は「ダークナイト」「インセプション」で、アクション監督として数分の見せ場を作る手腕はあっても、2時間トータルのドラマで感情を揺さぶる力量がない。
短距離ランナーであって、マラソンは出来ない。
両方できるスピルバーグとは違う。
今回邦画は子ども対象ばっかりなので「TENET」に。
あらすじ)
ウクライナのオペラハウスで、突如としてテロ事件が発生。現場に突入した特殊部隊に、ある任務を帯びて参加していた“名もなき男”は、大量虐殺を阻止したものの自身は捕らえられ、仲間を救うために自害用の毒薬を飲まされてしまう。
しかし、その薬はいつの間にか鎮静剤にすり替えられていた。目覚めた“名もなき男”は、死を恐れず仲間を救ったことで、フェイと名乗る人物から、未来の装置「時間の逆行」を使い未来の第3次世界大戦を防ぐという、謎のミッションにスカウトされる。鍵となるのは、タイムトラベルではなく“時間の逆行”。混乱する男に、フェイはTENETという言葉を忘れるなと告げる・・・
冒頭オペラハウス襲撃シーンからひどいな。
背景も敵も味方もわからない。
掴みがカオスってどういうこと?
テストに合格してテネット一派に組み込まれ
「アルゴリズム」とかいうハードディスク状の物をテロリストから奪う
銃も爆破も車も現在進行系に未来からの介入?があって・・・
開始40分でもうあきらめた。
魅力のない主人公、脇役として光らない中途半端な仲間
ロマンスもなければ、希望もない。
何にもない。
誰一人共感出来ず、何が何だかわからないままラストが来た。
こんなクズ映画を2時間弱見てしまった自分が嫌になる。
気持ち悪さが「TENET級」だ。
あまりに物語が難解にしてるのは
YouTubeで謎解き動画が山の様にアップされてる。
数回見させて売上アップ戦略か?
未成年者相手にCDに投票権付けるような秋元康AKB商法より悪質だ。
世界がコロナで大変な時に満を持して、詐欺まがいの映画を公開するとは
クリストファー・ノーランは恥ずかしくないのかね。
金の浪費というよりも時間泥棒だな。
罪はより重い。
0点以下
映画「MOTHER マザー」長澤まさみのヤサグレクズ母物語は歯がゆい現実の投影故か、映画的リズムを欠いた凡庸さで共感も興奮も何にも無い情けなさ
7月最初は、近年映画主演が年2作以上のトップ女優長澤まさみが初の母役にいどんだ「MOTHER」に。
家族連れのごった返す食堂街を通って席に着くとわずか20人くらいと
東宝シネマズの看板女優で公開2日目、最初の土曜日の午後に・・・大丈夫か?
あらすじ)
シングルマザーの秋子は、生活保護を受け一人息子の周平と苦しい生活をした。
実家に帰り両親に借金を申し込むも、親子の縁を切られてしまう。
ゲーセンでホストの遼と出会い、やがて二人は内縁関係に。 周平は学校に通うことも出来ず、荒んだ生活を続けていく。 ある日秋子は遼の子どもを妊娠するも、遼は認知せず逃走。
秋子が子どもを産んだ5年後。16歳となった周平は、学校に行かず妹・冬華の面倒を。やがて3人は住む場所にも困り路上生活となり児童相談所が救いの手を差し伸べる。
周平はフリースクールで勉強を教わり、少しずつ学ぶ楽しさを感じた。
しかし、秋子は周平に金を無心するように・・・
人の金で、パチンコやホスト遊びで散財し働かないシングルマザーと
学校に行かない、友達のいない息子
この2人の周りの大人が例外なく情けない。
覇気がなく口先で生きてる。
刺されても訴えない市役所職員、暴力を見ても警察に届けないラブホ経営者
暴力を見ても止めようとしない児童相談所職員・・・
真剣にこの親子を救出しようとはしない。
この辺りのリアルの積み重ねが、この映画唯一の真骨頂だ。
親子再生のヒントも、ヒーローも現れない
ということは悪循環しかなく、路上生活者や犯罪者になるしかない。
長澤は元亭主から養育費を受けながら働かず
子を使い金を借りさせ、犯罪させる、正真正銘のクズ親である。
同時に男に言い寄られ、利用し、性欲を発散する女でもある。
後者がきちんと描かれていないのでキャラクターの説得力を欠く。
だらしない女はだらしないセックスをする。
あるいはセックスだけはだらしなくないとか。
エロス表現がない(セックスしてる風はあるが)のだ。
例えば「復習するは我にあり」の倍賞美津子はスクリーンから
エロスの波が見えた。
裸になる必要はない。
例えばセックスに向かっていく際に、画面が回転する
白石和彌監督の映画「凪待ち」の様な映画的な至福などいくらでも技があった。
演出は東宝の看板女優故に、置きにいった感が否めない。
青空が全くない。
2人の心象風景のようにグレートーンが支配する。
笑いがない。
クズぶりをセリフでも行動でも 笑いに出来たにも関わらずだ。
チャップリン曰く
「近くで見れば悲劇でも、遠くからはコメディだ」
観客に息抜きさせないと疲れる。
物語はヒーロー登場しないんなら、せめて小さなエピソードで感情を揺さぶらないと。
エンタメに昇華しきれてない監督の力量不足。
役者陣では非共感者を演じている面々はいい仕事をした。
ホストの阿部サダヲの軽さ、トラウマを抱える児童相談所の夏帆の半歩下がって生きてる感じ、ラブホ経営者の仲野太賀の不思議な優しさ・・・など役に徹して見事にクズだった。
少年役の奥平大兼は何をしふだすかわからない不気味さをナチュラルに感じさせて好演だった。
さて主演の長澤まさみだ。
誰からも真に愛されない、息子だけを愛する(彼女なりの)人格であるためか、彼女史上初の役柄だと思う。
監督の力さえあれば、主人公が共感されなくても、別の何か「something else」で希望は見せる。
映画って本来2時間の暗闇でその「something else」を見せるものと思っているので今回は運がなかった。
どこか一つ、良い行いをしたが故に救われるお釈迦様的救いもなく、映画はただリアルを描いて終わってしまった。
ドキュメンタリー映画でもあるまいし。
50点
映画「犬鳴村」・・この町で生まれ、隣町に住む私が、地元では有名な都市伝説の映画化をコロナ開け1本目に選んだ・・
ブログ再開します。
昨年秋に、動物センターの犬を飼いだしたら、強い分離不安症で、飼い主いないと吠える、暴れる、脱走するの連続で、市の動物管理車が出動したり、仕事も一緒に出掛ける必要から車を買い替えたり、コロナより先に、新しい生活様式になってしまいました。
結果、映画館に行けない日々が続きましたが、なんとか解決しそうな予感です。
昨年末分も少しずつUPして行きます。
この映画を緊急事態宣言開けて最初に見たのは訳がある。
・家からわずか20km先にあるのが「犬鳴トンネル」
・トンネルは宮若市にあり、私はそこで生まれ隣町に住む
・母校の小学校校歌の始まりは「犬鳴きはるか・・・」
・犬鳴伝説は、確かに数十年前から地元住民も知られている
まさにご当地映画なのだ。
ホラーは基本苦手だけれど、この監督清水崇には興味があるし避けてはいられない。
初めてのイオンシネマは、お客さん5人くらいで、寒々しいが
ホラーにはちょうどいい。
あらすじ)
臨床心理士の森田奏の周りで突如、奇妙な出来事が起こり始める。
「わんこがねぇやに ふたしちゃろ~♪」 奇妙なわらべ歌を口ずさみ、おかしくなった女性、行方不明になった兄弟、そして繰り返される不可解な変死。
それらの共通点は心霊スポット【犬鳴トンネル】だった。
「トンネルを抜けた先に村があって、そこで××を見た…」突然死した女性が死の直前に残したこの言葉は、一体どんな意味なのか?
全ての謎を突き止めるため、奏は犬鳴トンネルに向かう。
しかしその先には、決して踏み込んではいけない、驚愕の真相があった・・・・
トンネルに深夜入りカップルが動画撮影する。
10年前ならあり得ないが、ユーチューバー時代にはこういうのが全国にわんさといるんだろう。ネットではこのトンネル前から(中には入れない)映像が山とあるしね。
廃墟に入ってからの恐怖の盛り上げはうまいもんだ。注視できなくなって下向いてた。
三吉をスクリーンで初めて見た。
目力の強い大きな体で目の前の衝撃を受け止める存在感が抜群だ。
特別の演技とかないのだがナチュラル。
随所に現れるホラー描写よりも、三吉が自身が持つ特別の能力を自覚し、家族(父:高嶋政伸 母:高島礼子 祖母:石橋蓮司)の隠された出自を探るファミリーヒストリードラマになっていく。
現在の出来事は過去に秘密があり、その鍵探しの旅である。
高嶋政伸はクセがある役はいつもうまいが、振り切った高島礼子が秀逸。女優のプライドを捨てたかのような何物感。よく役受けたな。
一方で廃墟の村にまつわる電力会社の闇も描かれる。
ここでその当時の亡霊の出現には参った。
ぺらぺら当時の模様を三吉に説明しだした辺りでトーンが変わる。
これはホラーか?コメディか?
彼女が自分の体と知恵で、今起こっている現象を解き明かしてこそ共感が生まれるのだ。
ドラマの構成はよかった。
起)お気楽カップルの悲劇
承)主人公の自我の目覚め
結)亡霊たちの訴え
ラストカットがパート2の布石だろうか?
既にある日本最恐の「犬鳴伝説」を使って
一家族の、ユーチューブ世代と因習に縛られて生きている二つの世代を描く。
同時に悪徳企業ら資本家に翻弄される住民の恨みがラストでスパークする。
俳優の力演、SFXの完成度は素晴らしかった。
縦糸と横糸がかみ合った社会派ホラーになるはずだったが・・・
おしゃべりな亡霊なんかいらない。
70点
長年この伝説に心を揉んでいた地元住民として、映画の形で終止符を打ってくれた東映と清水監督には敬意を表したい。
そもそも亡霊なんていないしね、エンタメの中だけ。
映画「ワンス・アポナ・タイム・イン・ハリウッド」何をやってもタランティーノ!人気俳優の興亡と60年代カリフォルニアの狂気が交わるサスペンスが秀逸!ブラピのカッコ良さが特筆。
何をやっても魅せてくれる我らがタランティーノ
今回はどう楽しませてくれるか?
60年代のハリウッドが舞台で・・・と言っても題材なんてどうでもよろしい。
西部劇でも、ナチハンターでも・・・結局はサスペンスあり、活劇あり、恋愛があって・・濃い人間ドラマになっているんだから。
ディカプリオとブラピのW主演?
「タイタニック」以降どうもディカプリオ主演映画が見てるとつらい。
日本で言うと「藤原竜也」で、ハンサムで頼りがいがある活躍するけどなんか共感できない、みたいな。
ブラピは頼りがいがあるがクールで余裕がある感じ。
この2人がタランティーノがどう使うか?
いつものシネコン、いつもの辺りで見て来た。
あらすじ)
1969年、ハリウッド。俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、テレビから映画へのキャリアチェンジがうまくいかずに焦っていた。彼のスタントマン兼付き人のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、変わらぬ忠誠心をリックに捧げ続けており、2人は固い友情で結ばれていた。リックは隣に越してきた、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)に刺激を受け、イタリアで数本のマカロニ・ウェスタン作品に出演する。半年後、帰国したリックが自宅で過ごしていると、ヒッピー風の若者たちが運転する車が私有エリアに入り込み、リックとの間にトラブルが発生する・・・
人気俳優の興亡の個人史がケレン味たっぷりで描かれる。
その職場であるハリウッドの喧騒のアクセントに70年代の世界的ヒーローになった役者ばかりでうれしい。
10代の日本の少年洋画ファンを熱狂させたブルース・リーと、キング・オブ・クールのスティーブ・マクイーン。俳優がまたよく似てる。
映画小僧タランティーノの編集が実にテンポ良く飽きさせない。
人気スターが仕事を失う恐れを、ディカプリオがいい味を出している。
さすが主演の貫禄だ。
ここからが本領発揮。
60年代カリフォルニアに蔓延していたカルト宗教がスタントマン兼親友役のブラピに絡んでくる。ここからのサスペンス、ダークな匂いこそこの映画の神髄だ。
ここを描きたかったんだろうな。
街にあふれるヒッピー風の若者の群れ
郊外で独自のコミューンを作り、厳密なヒエラルキー組織を持つ。
リーダー(チャールズ・マンソン)は敢えて登場させない不気味さが人格支配されている恐怖を物語る。
このコミューンにやってくるブラピのカッコ良さ。
理解できないカルト集団VSブラピ
悪党だらけのバーにやってくる一人のカウボーイみたいな。
少ないセリフ、余裕のある態度、無駄のないアクション
マクイーンの傑作「ゲッタウェイ」見てるようなキレの良さ
ブラピ主演映画の中で最高にカッコいいシーンだ。
ラスト40分で主演が完全に入れ替わる。
この後、ロマン・ポランスキー監督、シャロン・テート夫妻に忍び寄る悲劇へと進む直前に、隣家に住むブラピと再度対決する。
2本の別の映画みたいだ。
前半はヒューマンコメディ、後半がカルト集団サスペンス
50代になったブラピは本当にいい俳優だ。
共感度が増した。
特にタランティーノと組んだ時にね。
シャロン・テート殺害事件をモチーフに「虚栄の街」に巣食う異常な人たちをスケッチして見せた新感覚エンタメが登場した。
タランティーノとコーエン兄弟の新作はこの新感覚がいつも楽しめる。
題材はなんでもいい。必ず最高の料理にしてくれる。
映画を愛し、映画に愛される稀有な映画作家だ。
90点