映画「MOTHER マザー」長澤まさみのヤサグレクズ母物語は歯がゆい現実の投影故か、映画的リズムを欠いた凡庸さで共感も興奮も何にも無い情けなさ
7月最初は、近年映画主演が年2作以上のトップ女優長澤まさみが初の母役にいどんだ「MOTHER」に。
家族連れのごった返す食堂街を通って席に着くとわずか20人くらいと
東宝シネマズの看板女優で公開2日目、最初の土曜日の午後に・・・大丈夫か?
あらすじ)
シングルマザーの秋子は、生活保護を受け一人息子の周平と苦しい生活をした。
実家に帰り両親に借金を申し込むも、親子の縁を切られてしまう。
ゲーセンでホストの遼と出会い、やがて二人は内縁関係に。 周平は学校に通うことも出来ず、荒んだ生活を続けていく。 ある日秋子は遼の子どもを妊娠するも、遼は認知せず逃走。
秋子が子どもを産んだ5年後。16歳となった周平は、学校に行かず妹・冬華の面倒を。やがて3人は住む場所にも困り路上生活となり児童相談所が救いの手を差し伸べる。
周平はフリースクールで勉強を教わり、少しずつ学ぶ楽しさを感じた。
しかし、秋子は周平に金を無心するように・・・
人の金で、パチンコやホスト遊びで散財し働かないシングルマザーと
学校に行かない、友達のいない息子
この2人の周りの大人が例外なく情けない。
覇気がなく口先で生きてる。
刺されても訴えない市役所職員、暴力を見ても警察に届けないラブホ経営者
暴力を見ても止めようとしない児童相談所職員・・・
真剣にこの親子を救出しようとはしない。
この辺りのリアルの積み重ねが、この映画唯一の真骨頂だ。
親子再生のヒントも、ヒーローも現れない
ということは悪循環しかなく、路上生活者や犯罪者になるしかない。
長澤は元亭主から養育費を受けながら働かず
子を使い金を借りさせ、犯罪させる、正真正銘のクズ親である。
同時に男に言い寄られ、利用し、性欲を発散する女でもある。
後者がきちんと描かれていないのでキャラクターの説得力を欠く。
だらしない女はだらしないセックスをする。
あるいはセックスだけはだらしなくないとか。
エロス表現がない(セックスしてる風はあるが)のだ。
例えば「復習するは我にあり」の倍賞美津子はスクリーンから
エロスの波が見えた。
裸になる必要はない。
例えばセックスに向かっていく際に、画面が回転する
白石和彌監督の映画「凪待ち」の様な映画的な至福などいくらでも技があった。
演出は東宝の看板女優故に、置きにいった感が否めない。
青空が全くない。
2人の心象風景のようにグレートーンが支配する。
笑いがない。
クズぶりをセリフでも行動でも 笑いに出来たにも関わらずだ。
チャップリン曰く
「近くで見れば悲劇でも、遠くからはコメディだ」
観客に息抜きさせないと疲れる。
物語はヒーロー登場しないんなら、せめて小さなエピソードで感情を揺さぶらないと。
エンタメに昇華しきれてない監督の力量不足。
役者陣では非共感者を演じている面々はいい仕事をした。
ホストの阿部サダヲの軽さ、トラウマを抱える児童相談所の夏帆の半歩下がって生きてる感じ、ラブホ経営者の仲野太賀の不思議な優しさ・・・など役に徹して見事にクズだった。
少年役の奥平大兼は何をしふだすかわからない不気味さをナチュラルに感じさせて好演だった。
さて主演の長澤まさみだ。
誰からも真に愛されない、息子だけを愛する(彼女なりの)人格であるためか、彼女史上初の役柄だと思う。
監督の力さえあれば、主人公が共感されなくても、別の何か「something else」で希望は見せる。
映画って本来2時間の暗闇でその「something else」を見せるものと思っているので今回は運がなかった。
どこか一つ、良い行いをしたが故に救われるお釈迦様的救いもなく、映画はただリアルを描いて終わってしまった。
ドキュメンタリー映画でもあるまいし。
50点