映画「運命は踊る」監督サミュエル・マオズマジックが国境警備の緊張と弛緩を照射する。
チケットを頂いたので平日の15時、福岡唯一の名画座に出向くと、シニア世代がポツんといっぱい。
イスラエル映画を見たことがない。
ドラマの一部で描かれたのがスピルバーグの「ミュンヘン」でオリンピック殺人事件のアラブテロリストを各地で殺していく。周りをアラブ諸国に囲まれたいつも戦時下である状況だけは理解している。
そのシビアな国の映画界から若き鬼才の2作目が登場した。(前作は見ていない)
あらすじ)
夫妻のもとに、軍の役人が、息子ヨナタンの戦死を知らせるためにやって来る。ショックのあまり気を失う妻。夫は平静を装うも、役人の対応にいらだつ。そんな中、戦死の報が誤りだったと分かる。安堵する妻とは対照的に、夫は怒りをぶちまけ、息子を呼び戻すよう要求する。
ラクダが通る検問所。ヨナタンは仲間の兵士たちと戦場でありながらどこか間延びした時間を過ごしている。ある日、若者たちが乗った車がやって来る。いつもの簡単な取り調べのはずが・・・ 遠く離れた場所で、3人の運命は交錯しすれ違う。
両親の住むマンションの部屋と、息子の国境警備所が交互に描かれる。
基本それ以外にはない潔さ。
突然死んだと告げられた夫の哀しみ、間違いだった軍への怒り。
部屋から出ないので濃密な息苦しさが伝わってくる。
一転して死んだとされた息子の働く国境警備所の単調さの対比。
この砂漠地帯のカラートーンがフィルムライクで時間の流れが緩やかだ。
この兵士達の日常は実に面白い。
暗闇をやってくるアラビア人たちの不安げな表情
テロリスト審査の照合する間の緊張
目くばせと合図の弛緩
砂漠の中で生と死との向き合いを見ていく。
これが陸続きの国境で繰り返される現実だと理解できる。
善意からの悲劇
予想外の夫婦
なんともドラマチックな中近東か。
隣のスクリーンではマイケル・ムーアの「華氏911」をやっている。
トランプの一声で国境に緊張が走る。
福岡の名画座で実感させられる。
80点
映画「億男」大友啓史監督 佐藤健 高橋一生 何だこの表層主義は?川村元気原作のつまらなさを補えるのは「何者」の三浦大輔しかいなかったのにね。
最近のエンタメ界隈は出版社がいい書評のみをネットでコントロールしている気配が濃厚で当てにはならない。その証左の代表が数年前に川村元気の原作を書評の高評価から読んで見て、近年稀に見るつまらなさに驚いた。
たった一言で表せる「薄っぺらい」
だけど、NHKドラマ「ハゲタカ」での過不足ない大友啓史演出は好きだし、「何者」の佐藤健と「シン・ゴジラ」高橋一生も出てる。最低でも合格点だろう期待もあっていつものスーパー内シネコンに出かけてみた。
あらすじ)
「お金と幸せの答えを教えてあげよう」。宝くじで三億円を当てた図書館司書の一男は、大富豪となった親友・九十九のもとを訪ねる。だがその直後、九十九が三億円と共に失踪。ソクラテス、ドストエフスキー、福沢諭吉、ビル・ゲイツ。数々の偉人たちの言葉をくぐり抜け、一男のお金をめぐる三十日間の冒険が始まる・・・
庶民でこのあらすじに心惹かれない人は少ないだろう。年に何回からくじ買うし、他力本願の権化・神社の祈りの中に「クジ当選」は入っていない人は少なかろう。
がだ。冒頭のパーテイー部分からして唐突過ぎてこれが何かわからない。
誰が、何の目的で、どういう人を・・・
後でわかるのだが、こんな勿体ぶった意味不明の順番にする必然がない。
最近やたらとこの手法が多くてメンドクサイ。
親友・九十九の思惑なんだけど2人のキャラ立ちも中途半端だし、ここに集まる魑魅魍魎な人種を見せて作品世界にぐっと引き込ませないといけないのに、ブレーキをかけてしまっている。
原作者はこの東宝のプロデューサーなのに一体何を見ているのだろう?
佐藤健は「何者」の就活生から一転。妻と別居し、娘を愛しながらも、借金苦であえぐ個性のないリーダーシップをとれそうにない市井の人を好演している。
高橋一生は複雑な成功者と吃音の落語学生を巧く演じた。
黒木華は昭和の顔立ちからお母さん役が実にいい。マネーと別世界のマドンナとして終始ぶれない。
出色の出来は北村一輝。
他と生きてるリズムが違う味をだしている。
前作の映画「去年の冬、きみと別れ」(2018年3月公開)の編集長役が余りに酷い学芸会芝居にガッカリしたので、やれば出来るじゃないか。
こういう屈折した役所が立ち位置ではないかな。
相変わらずなのは藤原竜也
インチキ成功者のインチキ感がないんだな。
何をやっても響かない。
オーラのない役者でも演じたらどうだろうか?
この映画は、主人公が、九十九のかつての仲間で出会っていく中で、大切なものを探し当てるのだが、なぜ九十九を探すのかがさっぱりわからない。
そこがわからないので、この物語のキモであろう
九十九探し=自分探し=本当の幸せ探し
に帰結しないのだ。
何故大切な当選金を全額、彼に預けたのか?
基本の「キ」がないのだ。
学生時代のモロッコ旅行とかにスポットを当てたところで「それで何?」となる。
順番が間違ってる。共感のしようがない。
監督(原作者もかな)はわかっていない。
エンタメの作りも、青春というものも。
彼らは「何者」を何回見たのかな?
(感性ないと観てもわからないけどね)
原作者の川村は「何者」の企画・プロデュースではないか。
三浦大輔に演出させないと。
表層しか描いていない原作を力のない監督に任せた失敗作。
30点
映画「ボヘミアン・ラプソディ」Queenのフレディ・マーキュリー演じるラミ・マレックの快演と70年代の雰囲気、巨大コンサート会場での一体感。ロック映画史とLGBT映画史に残る名作で、衆議院議員・杉田水脈に毎年見ることを義務づけたい
70年代を青春だった少年の多くが一度は洋楽のシャワーを浴びたであろうQueen
福岡にも来たもんね。
ボーカルのフレディ・マーキュリー物語が映画になったので見たかったが、試写会があったので近所のスーパーマーケットシネコンに行った。
中高年カップルが多い感じでファンだった人なんだろう。私もビートルズナンバーに次いで知った曲が多い。(他はイーグルス、S&G、ビリー・ジョエルetc)
これは愉しみだ。
学生バンドにボーカルの脱退に伴ってフレディが加入する1970年からスタート。
冒頭はフィルムで撮ってるような70年代らしさがプンプンする。
髪型、ファッション、サイケ感など。しかし一貫してフレディ・マーキュリー物語だ。彼の家族との関係、性の嗜好・セクシャリティ、仲間との絆が描かれる。
主演のラミ・マレック(全く知らなかった)が素晴らしい。
労働者階級出身のロン毛の美大生が、堂々とした世界一のパフォーマーとなりゲイになりきる。雰囲気、仕草、話し方の表層から、自信、不安、恐れ、喜び・・心象風景まで見事だった。
音楽がベスト盤聞いてる様で体が自然に動く。
これこれ。
ロック映画でも動かない作品も結構多い。
ビートルズの「レット・イット・ビー」
スコセッシの「ラスト・ワルツ」
プリンスの「パープルレイン」
名作と言われてもスターが出ればスクリーンで何でもスイングする訳じゃない。
でも、この映画は音作りが見えて実に楽しい。
ビートルズ、ピンク・フロイドら英国のロックアーティストがスタジオに籠って作った音の秘密の一端に触れられる。
一度は別れた仲間と、「ライブエイド」コンサートで演奏するシーン。
ここは前の席で出来れば4DX、IMAXで見た方がいい。
臨場感が半端ない。
伝説のチャンピオン「We Are The Champions」
で涙出そうになった。
「we'll keep on fighting 'til the end」
そうか、ゲイ=少数派であるフレディが、同じ少数派(ゲイに限らず)に語りかけたメッセージなんだと。
40年たってそ歌詞の真意がわかってくるのも
アー俺も歳とったんだな、とシミジミ。
新潮45上の差別寄稿以降、沈黙することで騒動を問題提起にもしない(当然決着もつかない)態度だ。
総理は若い(杉田は51歳)と言って庇う。
党は、公然と性の嗜好で差別する者を許し、発言させない。
中央官庁は厚生労働省以外は障害者雇用の虚偽を長年やって、官僚は誰も逮捕もされず辞任もしない。
オリンピック・パラリンピックを2年後には開くというのに・・・
なんなんだろう、この国の為政者は。
子供のいない生産性のない私など少数派には是非見て欲しい。
理不尽なことには声をあげて戦おう、と。
胸は張ってろ、と。
そんな気にさせる
ドストライク直球勝負で迫る。
100点
フレディ・マーキュリーが亡くなったからこそ、ボーカルがファンに引き継がれこの曲は「民衆の詩」の様なオーラをまとってきた。
LONDON, ENGLAND Green Day Crowd Singing Bohemian Rhapsody - Hyde Park July 1st, 2017
沢田研二、コンサート当日キャンセル事件の考察。または、沢田は何故芸能人ジュリーを止めて、中学理科教師城戸誠(主演映画「太陽を盗んだ男」監督:長谷川和彦)になったのか?
突然、摩訶不思議なニュースが飛び込んだ。
歌手・沢田研二(70)が17日、さいたまスーパーアリーナで午後5時から予定していた公演「沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』」が急きょ中止となった。同所の管理会社が認めた。 沢田研二のポスターの前で身もだえした女優 会場スタッフは、困惑する来場者に向け「重大な契約の問題が発生したため、主催者、所属事務所が協議を重ねた結果、本日の公演は中止とさせて頂くことになりました」と説明。(Yahooニュース 2018.10.17)
このニュースを見た時に、大して驚きはしなかった。
70年代最後のスクリーンヒ-ロー「城戸誠」が覚醒したんだな、という感慨で胸がいっぱいになった。
沢田の中には、背負ってきた芸能人格の「ジュリー」と違う、もう一人の自分との長い葛藤があって、もはや隠し切れず、齢70歳にして過去の栄光を捨て、素に戻ればこうなる他ないではないか。
ここ数年の沢田の歩みを押さえておきたい。
3・11以降の政治への突然の参加(芸能人も社会人なので当然ではあるが)が自民でも共産でもなく、山本太郎だった。
いろんな支援がある中で、選挙戦の最中の街頭演説で動画配信される覚悟を持ってマイクを握る。
その数年前(東日本大震災前)沢田は自らの作詞でこれまでの「勝手にしやがれ」路線とは180度の舵を切る。
窮状・・・?
憲法9条としか考えられない。
メタファーにしては余りにストレートにしてもだ。
この辺りからテレビへの出演が極端に無くなる。
そして2011年3月11日を迎える。
2014年12月、映画で共演した菅原文太が亡くなる。
菅原も晩年は沖縄を中心に、反自民勢力拡大の為の政治参加に熱心だった。
やはりこの映画が2人の心に灯をともしたのではないか?
あらすじ)
中学の理科教師・城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村の原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートで原爆を完成させる。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫する。
交渉相手は、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)。かつて誠がクラスごとバスジャック事件に巻き込まれた時、体を張って誠や生徒たちを救出したのが山下だった。誠はアナキズムの匂いのする山下にシンパシーを感じていたのだ。
第1の要求は「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継させろ」。電話を介しての山下との対決の結果、その夜の巨人対大洋戦は急遽完全中継される。快哉を叫ぶ誠は山下に名乗った。俺は「9番」だ、と(当時、世界の核保有国は8か国、誠が9番目という意味)・・・
1979年、全く新しいエンタメが日本映画に誕生した。
広島出身で体内被曝した映画監督長谷川和彦の劇場映画2作目にして70年代最高に面白い日本映画を作る。痛快にもほどがある。
しかし電力会社、電事連を大いに刺激してスポンサーは皆無。
ドラマとはいえ、プルトニウムテロは79年より東京オリンピックを控えた中で、よりリアルであり、経産省、警察庁、内閣府をも刺激する。とすれば政府広報で大儲けする電通は絶対NGだ。地上波では決して放送されない。
為政者側からすればこの映画こそが国民から隠さなければいけない原発のような存在である訳だ。
しかし、制作の過程が関係者の証言となった動画がある。
これが実に面白い。
太陽=原爆を作った男を演じた男が、反原発に向かう。
1979年、沢田は城戸誠を演じる中で、その種を飲み込んだ。
やがて21世紀を迎え、大いなる覚醒が始まる。
大震災が起きる、憲法改正が迫ってくる。
「時は来た」
全国ツアー真っ最中なら話題に事欠かない。
城戸がテロリストであったように、「原発」は芸能界の禁忌であり、そのタブーに沢田はテロを企てた。そして当然スター歌手としては本日死んだ。
映画がそうであったように。
しかし、こうなる事でマスコミを通じた話題は、79年にはなかったインターネットの拡散を通じた沢田の訴えの本質がじわじわ拡散することを狙った企てではないか?
城戸誠はスクリーンで死んだが、その後の評価は真逆だった。
映画がそうであったように・・・
いま目にしているのは、ドラマ以上に、ある大スターの内なるドラマだ。
種が蒔かれて40年。
沢田はジュリーとしては死に、スクリーンで死んだ筈の城戸誠として蘇った。
花は咲いた、と観るべき。
個人的に、長くカラオケで「時の過ぎゆくままに」と「巴里にひとり」を歌ってきた70年代からの一ファンとして、例えるならば、映画「昭和残侠伝」のラスト。
雪降る花道で待つ池辺良の心境だ。
あんた一人、敵地に向かわせる訳にはいかない。
あまりにカッコ良すぎるし、こっちとしては男の立つ瀬がない。
複雑だけど仕方ない。
ここは、是非に及ばず。
これでいいのだ。
さらば、ジュリー
映画「MEG メグ ザ・モンスター」ジェイソン・ステイサム、リー・ビンビン主演 中国資本の、中国ヒロインによる、中国ビーチ物語。違和感ありまくるB級大作な新型不快感。
九州は台風の通り道でスカッとしないのでB級を探したら「鮫物」の予告編が良かったので。
youtubeやamazonプライムで定番でほとんど見てるけど感動ゼロ。若いビキニの子が大騒ぎして食われて退治されるだけだし。
でも邦画じゃ物足りなし、たまにはね。
近所の巨大スーパーのシネコンは10人弱の入り。
ジェイソン・ステイサムはハゲ頭がよく似合う。私もこうありたいものだ。
冒頭から中国資本のテロップが流れる。
上海の近くの海洋研究所で、中国人研究者の父と娘と子供がいて・・・
嫌な感じがプンプンする。
しかしそれにしてもリー・ビンビンは美しい。
娘を一人で育てるヒロインは共感しやすい。
清楚でクラシックな感じだし、脱税で話題になったあの女優とは違うな。
北川景子にも感じるが、こういう国籍不明の亜細亜美人がスクリーンで増えていく予感がする。
あらすじ)
海洋研究施設の潜水艦が探査のために深海へ降り立った。その時謎の生物と遭遇し消息を絶った。
救助に向かったのは潜水レスキューのプロであるジョナス・テイラー。
そこで目撃するのは200万年前の巨大生物、メガロドン。
人とメガロドンの戦いが始まる・・
アクション映画としてよくできている。
10分に1度は起こる「何か」
鮫の登場前に仲間を失い、登場したらまた死んでいく。
研究所に住む子供も恐怖を味わい、仲間がどんどん死んでいく。
ステイサムは驚異の大活躍で助けまくる不死身の男。
ビンビンとのそこはかとない恋愛模様もありながら
鮫は中国のリゾート海水浴場にあらわれ、最後の対決へ。
1975年のスピルバーグの出世作「JAWS」のハリボテ感ゼロの
見事なCG(模型だか知らないが)は見事。
登場人物から背景までこんなに中国が全面に出るハリウッド大作を初めて見た。
中国の様々な要人が世界中で行方不明になる、全体主義の監視国家が世界の目を国内でなくエンタメに向けさせる戦略の一つか。
80年前のドイツ、ナチ党のやったことを、中国共産党が今やっているんだろう。
チャイナマネーはあり余っているので今後もこの手の映画はどんどん増えていく。アジア地図のシーンでは台湾と尖閣は中国領になっているはず。
特撮も、主演女優も素晴らしいが、透けて見える政治の意図が気持ち悪い、新感覚の不快感。
50点
映画「カメラを止めるな」2回目 セリフと動線と伏線回収が見事だと改めて感心。ただ女子と行ったら気になってしまい「映画は一人で行くもんだ」と。
九州・福岡もやっと夜寒くなって外に出やすくなった。
カメトメ現象も落ち着いて、2ヶ月前の福岡で1館だけの一般公開初日の熱狂とはうって変わり、複数館公開になって近所のイオン併設シネコンに行く。
2回見るのは確か、スピルバーグ「E・T」、ブライアン・デ・パルマ「殺しのドレス」などわずか数本しかない。30年ぶりかな?
今回は同居してる彼女が「何故あなたは一人で行くのか?」詰問する感じだったので、深夜マッサージを強要される危険センサーが働き、リスク回避に一緒に見ることに。
ホラー嫌いらしいので気分良く映画館を出てくれるのか気になってしょうがない。
最初の37分は血まみれだしな・・・
2回目はストーリーわかっているので可笑しい場所がある。
満員だと笑いにくいが、田舎シネコン最終回は20人弱だし遠慮いらない。
しかし隣がいる。「1ヶ月前」テロップまで我慢した。
このおばちゃんプロデユーサーが現れたらもう大丈夫。
隣もところどころ笑っている。
この圧倒的な存在感。
初回では全体鑑賞だったが今回はセリフ、役者の動き、カメラの動きを重点的に見ていたがほんとよく出来てますよ、これは。
脚本も素晴らしいけど、俳優達(特にスタッフ役の)は力演する人がいなくてリアルだな。
北川景子、小泉今日子など美しい女性の非日常を見たいと思うのだが、そうでないフツーの市井に生きるささやかな生活を見せられると感動の質が違うのでどっちがどうとは言えないが、このささやかさがたまらなく愛おしい。
主役2人、監督の父、女優になった母、目覚めた娘・・・
誰もがラストに向かって成長や変化が見えてくるあたりの共感は
「ロッキー」や「カッコーの巣の上で」を凌駕する。
チームで期限内にやりとげる喜びにあふれた見事な映画であると再確認できた。
仲間と何かを始めたくなる映画というのも初めての体験だ。
改めて100点
何といっても隣も愉しかったと言ってくれたし
そうでなかったら自宅でリアルホラーが始まる・・
映画「ザ・プレデター」全米初登場1位もシュワルツェネッガー第1作にあったワクワク感のないご都合主義の宇宙人退治バトルに居眠りしかなかった。オリヴィア・マンが救い。映画は脚本が全てだなーとつくずく思う。
第1作は素晴らしかった。
南米のジャングルに送られるCIAが絡んだ秘密作戦に絡む「何者」、透明で見えない相手は撃っても撃っても死なない宇宙人シーンの斬新さ。監督ジョン・マクティアナンの演出力を見せつけられた。
テレビや動画で何回も見てしまう面白さ。
そのタイトルに「ザ」がついたら見に行くでしょう、それは。
いつものど田舎シネコン、いつもの席、金曜初日の夕方、3割くらいの中高年と一緒にワクワクを楽しむつもりだった・・・
冒頭の宇宙からのアプローチのお約束と宇宙船内部の赤いプレデター文字の世界を見せての反乱で「おや?」とさせて麻薬取引捜査と絡ませての導入はお見事。いつものプレデター音楽がBGMに鳴っている。
しかし、戦闘腕輪やお面、飲み薬とかなりあっちの物でパワーアップするご都合主義はどうなんだろう?
主役が子持ちの仕事の出来る軍人(この人が共感できないし、出来るエピソードがそもそもない)さらに、この役者にオーラがない。
シュワちゃんの半分もない。
このシリーズでは、存在感抜群のプレデターに対峙するリーダーが必要なのにだ、明らかにキャスティングミス。
それに比べて頼もしいのが女性科学者役のオリヴィア・マン
レイア姫的な何かがある。
何故彼女で「エイリアン」のシガーニー風にしなかったのか?
頭のキレも反射神経も素晴らしい。よっぽど共感できる。
この2人に、軍施設で出会った犯罪者の軍人達と合流してのプレデター退治がはじまるが、後半それぞれが活躍するんだから「七人の侍」方式で、各自の見せ場を作ってからにしないと犠牲が犠牲にならない。
仲間の死に対し哀しみがないので、スピードと迫力のアクションだけが見せ場になってしまう。
頭の悪そうなセリフ回しだけで、キャラ説明するのでどいつもチャラく見えてしまう。
さらに主役のいじめられっ子が科学好きでプレデターを招いてしまい・・・
マーケティング狙いか?
子供、女性、犯罪者、軍、CIA、エピソードを盛り込み過ぎて「その話いる?」的になって途中寝てしまった。
SFXは凄いとは思うが、冗長な脚本と、第1作にあった熱量がなく、リズムの悪い宇宙人退治になってしまった。
映画は脚本と演出
俳優でも製作費でもない。
終ってポカーーン、溜息しか出ない。
50点