参院選NHK政見放送「NHKから国民を守る党~立花孝志(ノーカット・字幕付き版)」要約。「不倫、路上、カーセックス」など放送禁止用語連発+受信料拒否ノーハウが役に立つ。NHKは何故スクランブル放送しないのか?考えて欲しい。「原子力村」と同一の隠れた既得権益と見る。
これまで数々の立花のYouTubeチャンネル、ふわっち配信などを見てきたが今回が一番の神回だった。内容を要約する。
冒頭)
山梨放送局の夕方番組の男女アナウンサーが写真週刊誌の取り上げられ、降板になりその事実を公表していない問題を公表。
「不倫、路上、カーセックス」を6回繰り返す。
受信料問題)
立花は受信料を支払っていないと公言。
不払いの方法を公表
1、NHKフリーダイヤル0120-151515に電話する。
2、「自動引き落とし」から「継続振込み」に変更
3、NHKから「納付書」が届くが無視する
4、「NHK撃退シール」(国民を守る党が無料で発行)を玄関に貼る
または集金人に「立花孝志に電話しますよ」伝える
5、国民を守る党ではNHK受信料不払い専用コールセンター(東京)03-3697-0750がある。
NHKのスタジオから受信料不払い、踏み倒す方法を告知でき、全国の放送局とYouTubeなどで何度も放送されるのは素晴らしい。
スマートフォン(iPhone)やインターネットから受信料を取ろうとしている。法律が通貨したので来年からNHK放送が始まる。悪いのは法律を通した国会議員。NHKの要求を鵜呑みにしてそのまま承認している。だから選挙で行って欲しい。
立候補者について)
今回立候補する約40名は大学を卒業していない、エリートではない。前科者もいる。庶民の集まり。一方いまの政治家はエリートで消費税増税やNHKの受信料を無理やり払わせる法律を作ったり、スマホで受信料を取ったりしている。
国会議員は国民の声を直接聞いたらどうか?
スクランブル放送とは)
水道・電気・携帯電話と同じように料金を支払わなければそのサービスを止める。
NHKもそうすべき。
水が止まれば命が止まる。
電気が止まれば熱中症になって倒れる人が出る。
携帯電話が止まれば仕事や日常生活、災害時に影響が出る。
NHKの放送が見れなくても誰も困らない。
国会議員はNHKを見たくない人の権利を保障するために直ちにスクランブル放送の実現に取り組むべきと考える。
(後半一部略)
冒頭の連呼はつかみとしても
発言の趣旨は納得できる。
国民の半分が支払い、支払ってない分を負担する。
負担者は何故怒らないのか?
フェアにするにはスクランブルすればいいだけなのにしない。
しない方が政治家、官僚、他のキー局など国を統治する為政者にとって
都合のいい何かがあるはず。
ここを探るのはジャーナリストの出番だ。
他の候補者もユニークでかつ自然体。
令和の政見放送が変わっていくキッカケになりうる。
こうなると国会の参議院各委員会で何を言い出すか・・・
面白さはほんの一瞬、恐ろしくて国会に送れやない。
ここ数年の立花孝志の闘い
「NHKワンイシュー」で地方議会で議席を増やして(議員とのトラブルは横に置いて)戦略は成功していたが、支持はここまでだろう。
「おちゃらけ」も度が過ぎると逆風となる。
映画「主戦場」監督ミキ・デザキの後出しジャンケンの罠に嵌る「保守論客」をみんなで笑う新感覚プロパガンダ 原一男の「ゆきゆきて、神軍」以来!
劇場公開がめったにないこの手の映画
猫とかキツネとかペンギンは毎年の様に公開されるのに、人間対象だと一気に少ないのは何故か。
最後に見たのはゴーストライター騒動で注目を集めた佐村河内守氏に密着した森達也監督の「FAKE」(2016)
今回は所謂、慰安婦問題を扱っていることから、名画座の会場内に20Mの列に並んでの入場(こういうのは昨年の九州初公開日の映画「カメラを止めるな」以来だ)
あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキを、おそらくご存知ないだろう。
ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心を掻き立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった。
慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?
「強制連行」は本当にあったのか?
なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか?
そして、日本政府の謝罪と法的責任とは……?
見ながらいろんな感想を抱いた。
・「主戦場」のタイトルから白熱の議論があると思えどゼロ
・登場人物の数が慰安婦派が多い
・登場順が保守派→慰安婦派と論破したような印象を与える
・監督自身の早口ナレーションと過去に使われた写真、画像、動画がわかり易く説明しつつも、保守派に懐疑的な印象を与え、最後に「歴史修正主義者」と呼ばれる。
・音楽が素晴らしい
(原一男の傑作ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」(1987)以来だ
この和太鼓リズムのクセになる追い立てられ感
いずれにしても見ていて楽しいのだ。
当然、映画公開後に続々保守派出演者から怒りが続出
テキサス親父日本事務局の藤木俊一氏
「大学院修了プロジェクトで、私とテキサス親父ことトニー・マラーノにインタビューしたいと言われました。デザキさんが以前、ネットで炎上騒ぎを起こしたことも知っていたので、疑ってかかりましたが、“大学で勉強し、慰安婦証言があやふやで信用できないことも知った”と言うので、大学院の研究だし、と思って受けたのです」
しかも、藤木氏らは事前に合意書も交わしていた。
「公開前に見せ、意図と違う使い方をされたらフィルムの最後に、私が映画に不服である旨を記すことになっていた。ところが、公開するが事前に見せられない、という旨を、メールで一方的に知らされたのです。法的措置も検討したい」
なでしこアクションの山本優美子氏
「大学院生からお金はとれません。学究に資するものと信じて取材に応じたのに、まさかこんな形で裏切られるとは、同じ上智の卒業生として悲しい」
「この映画は私たちの議論のあと、向こう側の議論が延々と続き、私たちに再反論の機会が与えられていません。ディベートではなく、言葉によるリンチです」
上の発言が本当ならば制作前からの確信犯。
反論の機会を与えず、自分の主義・主張を最後に観客に印象ずける。
しかしミキ・デザキ、大した映画監督だ。
ぜひ、反論を映画でして欲しい。
80点
私が最も尊敬するドキュメンタリー監督原一男の
YouTubeチャンネル「#CINEMA塾」はとても面白いのでご参考までに。
映画「新聞記者」内閣調査室VS官僚+記者のサスペンスが、東京新聞:望月衣塑子ショーにすり替える構成はいただけない。
後半決まって、東京新聞記者・望月衣塑子氏の質問攻撃を見ることができる。
他社が聞かない(聞けない?)ことを執拗にで聞くいつものスタイル。
ほとんど共闘はない。
週刊誌報道や根拠のない記事に基づく質問も多く訂正やとんちんかんもある。
知る権利を代行する仕事が記者なので、手法はどうあれ「まっとう」である。
そんな彼女の原作で映画を作った。
組織に敵対する官僚に近年最も色気のある松坂桃李、望月と思われる記者に韓国のシム・ウンギョン(全く知らない)
期待値は高まったので公開初日、大都会シネコンの2回目に参加。
あらすじ)
都新聞記者・吉岡 ( シム・ウンギ ョ ン ) のもとに 、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた 。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち 、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は 、真相を究明すべく調査をはじめる 。
一方 、 内閣情報調査室官僚・杉原 ( 松坂桃李 ) は葛藤していた 。「 国民に尽くす 」 という信念とは裏腹に 、与えられた任務は現政権に不都合なニ ュースのコントロー ル 。
愛する妻の出産が迫 っ たある日彼は 、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが 、数日後神崎はビルの屋上から身を投げてしまう 。真実に迫ろうともがく若き新聞記者 。「 闇 」 の存在に気付き 、選択を迫られるエリート官僚。
二人の人生が交差するとき 、 衝撃の事実が・・・
最近複数のビジュアルポスターで逐次投入が当たり前になった。
SNS拡散を狙ったのだと思うが、これほど「刺さる」キーワード版も珍しい。
先行試写で無料鑑賞した著名な文化人・知識人の傑作コメントもどうかと思う。それは金払ったこっちで判断するさ・・・作り手の傲慢というもの。
シム・ウンギ ョ ンは日本の女優が引き受けなかった理由で登板した様だが新鮮で結果良かった。胸の奥に秘めた正義感、生い立ちのトラウマを背負った影とか。
昭和の香りがする久しぶりに瞳の澄んだ大人の女性を見た。言葉のハンディも感じない。
内調官僚役の松坂、今回はMr.葛藤
国家公務員であるにも関わらずダーティー仕事が日課で妻にも真実を言えない。良心の呵責から尊敬する上司の自死に吹っ切れる。
すけこまし役日本一の松坂にとって真逆な、令和版の志村喬(黒澤明「生きる」)の様で、背負ったものの重さでつぶされそうな市井な人感が秀逸だ。
そんな二人が内調=政府の秘密を暴露するサスペンスなんだが・・・
記者が見る番組に、文科省元事務次官の前川氏との対談者として記者・望月衣塑子が頻繁に画面に表れる違和感。
国民の多くが知る例の詐欺師夫婦土地取引問題、四国の獣医師大学設置の「疑惑」を追求してきた当事者2人が出てくる。
フィクションにノンフィクションをぶち込む。
映画を見終わって観客に感じて欲しいことを、途中で原作者の言葉として要約させてどうするよ。
政権批判も、為政者批判もどんどんしたらいいけれど
原作者の、原作者による、原作者のためのドラマだ。
素晴らしい俳優たち、フィルムライクな霞が関シーン、心象風景を大胆に魅せるカメラワークetc 素晴らしい映画になれたのに。
いつもの制作委員会方式で、特定の企業の思惑に寄った構成に改編されたのか?
70点
映画「ハウス・ジャック・ビルト」監督トリアーが他映像の大量投入で「自在さ」と引き換えに「傲慢さ」が鼻につく現代地獄巡り
ラース・フォン・トリアー監督の新作は3K(北野武・是枝裕和・黒沢清)と同じく劇場で見るようにしている。
脚本を自分で書く、アイドルはいない、特撮ない、見えない・見たくない仕組みを描くなど、その作家性と普遍的なアプローチへの信頼がある。
前作「ニンフォマニアック」でトリアー組常連シャルロット・ゲンズブール持ってきて、現代女性の隠された暴力と性依存をあからさまにする中で、噛み合わない不思議な禅問答が随所に挟んで、構成もリズムも欠いたアンバランスさでドラマをぶち壊した。
今回は期待した。現代シリアル・キラーを通して何を語るか?
「アンチクライスト」の救いようのない狂気、「メランコリア」の崇高さが戻ってくる気がした。
九州では公開4日目、JR博多駅シネコンは月曜11時だけど30%入りでおじさん臭漂う中、スタートした。
あらすじ)
1970年代の米ワシントン州。建築家になる夢を持つハンサムな独身の技師ジャック(マット・デイロン)はあるきっかけからアートを創作するかのように殺人に没頭する・・・
5つのエピソードを通じて明かされる、 “ジャックの家”を建てるまでのシリアルキラー12年間の軌跡。
1話
冒頭から謎の老人と犯人との問答が入って嫌な予感がする。
マット・デイロンと言えばコッポラの「アウトサイダー」とかしか思い出さない。神経質そうで、偏執的な人物描写とスター感の無さはこのドラマ向きだ。
大好きなユマ・サーマンが最初の被害者。
「シリアルキラー」のキーワード連発で、犯人をとことん挑発していく表情が素晴らしい。こういう人はスクリーンで見ると美しさが倍増する。
さらに、自分を家を自分で建てる様子が描かれる。
当然何かのメタファーだろう。
2話目
警官を装って未亡人宅に侵入する。
ここでの会話が秀逸だ。言葉だけでサスペンスが生まれている。
この女優は知らないが50歳前後の幸薄い感じがリアル。
カメラワークが安定させず、上下にどんどん振る感じがドキュメンタリー調で癖になる。
そうか、こいつはアメリカ版「榎津巌」なんだ。
しかし突然この犯人がボード持ってキーワードフィリップを投げ捨てる。
なんだこりゃ。
犯人目線進行の中にカジュアル犯人がジャマをする。
家は作っては途中で壊す。これもメタファー?
これ映画?
映像論文・・・とでもいうべきかな。
3話目
母と息子2人がターゲット。
酷い殺し方でドラマとはいえ腹が立つ。
どんどん老人対話がドラマに介入、ヒトラーやナチスなど現代史事件事故の写真・動画がこの語りに沿って挿入される。
説得力を持たせたいのかさっぱり意図がわからない。
4話
プレスリーの孫娘女優が乳房を切り取られる。
対話、家壊し、フリップ投げ、現代史挿入が終わらない。
もはやドラマ完全崩壊。
最終話
対話老人が現れて、2人で旅に出る。
地獄を思わしい場所へと・・・・
結末はもはや意味がわからない。
何の感動も共感もない、2時間半の悪夢。
ポカーンとしたおじさん観客の溜息しか聞こえてこない。
他映像の世界観を自在に扱う魔法使いにでもなったつもりか。
ポスターなどビジュアルは、前作と同じ世界一の北欧デザイン事務所制作なので、期待してしまった私がバカだった。
あの比類ない才能はどこへ行ったのか?
もはや本当に枯れてしまったのか?
30点
映画「旅のおわり世界のはじまり」監督黒沢清が前田敦子の歌声をただアジアの真ん中で聞かせたかっただけの不思議な解放感。
黒沢清の「前田敦子愛」がファンの間では常識で、「Seventh Code」(2014)、「散歩する侵略者」(2017)に続く集大成なのかを確かめにいつものど田舎シネコンでチケット買ってたら、磁器カードが壊れていて再発行に手間どり開始時間を過ぎた。公開2日目で黒沢ファンも、AKBファンとかも多いだろうし、焦って頭低く座席を目指したが、目が慣れてきたら誰もいやしない。黒沢の新作をぼっち鑑賞出来る。これは贅沢だ。
映画の情報を全く持ってなかった。タイトルからして「村上春樹」的だし、ロードムービー的でもあるし、加瀬亮がいるとハチャメチャが起きるし・・期待はするがどこに連れて行ってくれるのか全く未知数。
「私の心は迷子になった」なるコピーが意味深だ。ホラーを描かせて世界一の黒沢がアジアの砂漠でどんな恐怖を見せてくれるのか・・・
あらすじ)
テレビのリポーターで“ウズベキスタン”を訪れた葉子は、“伝説の怪魚”を探すため、番組クルーと様々な地を訪れる。ある日の収録が終わり、彼女はひとり見知らぬ街を彷徨ううち、導かれるように路地裏につながれたヤギと巡り合う。それは、目前に広がる“世界”との対話のはじまりだった・・・
さて前田敦子である。
黒沢の前作「散歩する侵略者」で天然俳優としての素晴らしさを証明してみせたが、今回は心が迷子にならないといけない。
そもそもこの映画は「迷子」がキーワードのようで
番組は怪魚が見当たらず迷子、ディレクターは撮影出来ないイライラで迷子、前田は歌手になれなかった過去を回顧しつつ町を彷徨う。
スタッフ4人の男性陣と彼氏とのLINEだけが日本語会話で、それ以外は現地での非コミュニケーションの身ぶり手ぶり。
家畜として繋がれた「やぎ」の解放は、何かのメタファーなんだろうがよくわからない。撮影禁止区域での警官との追っかけが唯一のサスペンスなんだけど「第三の男」風にもならず、終始特撮もなければ血の一滴も流れない。
この中途半端さはこっちが迷子になりそうだ。
現地の劇場で突如エディット・ピアフの名曲「愛の賛歌」が流れる。
なんだ、これは?何の関係がある?
いや待て、監督は黒沢清なんだ。
すべての伏線は見事に回収され、あーそうだったのか!と、誰もを映画の国に連れてってくれた黒沢清だ。最終版で一気に畳み込む演出だろう。
このままで終わるはずがないではないか。
しかし、映画は何もしないまま前田の砂漠アカペラ独唱で終わる。
黒沢ファンは目が点になっただろう。
やりっぱなし。風呂敷広げっぱなし。やりたい放題。
しかしある種の解放感はなんだろう。
このシーンを撮りたいがための2時間のぐだぐだ紀行ではないか。
鳥取砂丘でもよかったと思うが、それなら30分で終わってしまう。
脚本読んだだけで商業映画としては失敗とわかるだろう。
だからこんな映画作る映画人はいない。
PIAAフィルムフェスチバルや学生映画の様な挑戦に拍手を送るしかない。それは黒沢清だから。
映画としては失敗、でも失敗であるが故に最後に解放される。
50点。
映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(スクリーンX版)」公開初日レビュー。支離滅裂の歴史的出来損ない。
あの「コジラ」が帰ってくる。
第2弾「キングコング 髑髏島の巨神」が随所に雑ではあるが、CGの完成度は素晴らしくて巨大生物のリアルさは驚いた。
久々の世界のKEN WATANABEの芹沢博士だし
東宝怪獣シリーズで60年代、子供心を鷲掴みされた一人として、モスラ、ラドン、キングギドラ総出演とならば襟を正し、公開初日、しかも福岡で最近完成した「スクリーンX」劇場に出かけてみた。
40%の入りで、スクリーンのほぼ中央後方に陣取って左右スクリーンを視野に収めるベストポジションで、金曜の13時、50、60代に囲まれてスタート。
あらすじ)
神話の時代に生息していた怪獣のモスラ、ラドン、キングギドラが復活する。彼らとゴジラとの戦いを食い止め世界の破滅を防ごうと、生物学者の芹沢(渡辺謙)やヴィヴィアン(サリー・ホーキンス)、考古人類学者のアイリーン(チャン・ツィイー)らが所属する、未確認生物特務機関モナークが動き出す・・・
冒頭は愛情深い母と娘の日常風景を見せる。(第1作もそうだった)
ここからがもの凄い展開に。
モナークの科学者の母が、テロリストと組んで世界に散らばるモナーク基地を行ったり来たり。怪獣の周波数をコントロールできる謎のマシンを使っていろんな怪獣を呼び寄せる地球規模のテロに加担する。
歴史に悪名を残す母テロリストに対峙する娘と元夫とKen Watanabe引き入りるチチームモナーク。
画面一杯にでるわでるわの怪獣たち。
その姿がやたらカラフルで強いんだけど恐怖を感じない。コングにあったリアルが今回はない。
但し登場人物にある家族愛、地球愛、怪獣愛・・・
愛の為に物語はご都合主義と科学的なエビデンスも解説もない支離滅裂へ一直線。
政治家が一人も出てこないまま、怪獣vsチームモナークのやりたい放題。
余りのバカバカしさに睡魔が来るが
目をつぶっても左右のスクリーンが明るすぎて熟睡できない。スクリーンX恐るべし。
後半から初期ゴジラシリーズの音楽監督・伊福部昭スコアが随所に登場する。
「シン・ゴジラ」で味をしめたチーム東宝の入れ知恵か。(予告編で流れるクラシックの名曲は皆無だった)
どのタイミングで席を立とうか、いかんせん座席は中央で観客の邪魔はしたくないので後半1時間耐えた。
この映画は、今まで見てきた映画の系統に入るのか?
どの人物キャラクターにも共感できず、ただ怪獣が暴れ、光線とか飛びまくり、スクリーンはやたら発光し、爆音鳴らし、テロリストは生き延び(次回はゴジラはキングコングと戦うんだって)
何とも悪趣味な世界戦略映画3部作
東宝は怪獣キャラを貸して世界で大儲けか?
あー、この虚しさ。
見たことを全て忘れてしまいたい歴史的駄作
時間の無駄。
0点
映画「ブラック・クランズマン」スパイク・リー監督のジャンル別け不能で不要なシリアスコメディの誕生。動画全部入りの何でもあり感が実に新鮮。
所謂トランプ(批判)映画が作られるハリウッドの中で、最も尖がったドラマの予感がした。
カンヌ映画祭グランプリとかはどうでもよろしい。
70年代、KKK vs 警察、黒人差別、潜入捜査・・と来たら、もうあらゆる場所から「対立」の火花がない方がどうかしている。
公開初日、いつものど田舎シネコン、いつもの席で、客席40%埋まってスタートした。
あらすじ)
70年代半ば、アメリカ・コロラド州コロラドスプリングスの警察署でロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は初の黒人刑事として採用される。署内の白人刑事から冷遇されるも捜査に燃えるロンは、情報部に配属されると、新聞広告に掲載されていた過激な白人至上主義団体KKK<クー・クラックス・クラン>のメンバー募集に電話をかけた。
自ら黒人でありながら電話で徹底的に黒人差別発言を繰り返し、入会の面接まで進んでしまう。騒然とする所内の一同が思うことはひとつ。 KKKに黒人がどうやって会うんだ? そこで同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)に白羽の矢が立つ。
電話はロン、KKKとの直接対面はフリップが担当し、二人で一人の人物を演じることに。任務は過激派団体KKKの内部調査と行動を見張ること。果たして、型破りな刑事コンビは大胆不敵な潜入捜査を成し遂げることができるのか―!?
物語読んだだけで、数か月前に見た映画「グリーンブック」と比較すると、もっとハチャメチャでサスペンスがあって面白そうだ。「ブック」は真正面のストレートが多くて、品行方正に過ぎた。抜けがなくて酸欠になりそうだった。
一方「ブラック」は「風と共に去りぬ」差別映画の王者「国民の創生」を見せたり、過去の実写、現代のデモ、トランプをぶち込んだ「動画全部入り」で面白い。
監督スパイク・リーのスタイルなんだろうが新鮮で好きだな。
ジョン・デヴィッド・ワシントンが、あのカッコいいディンゼル・ワシントンの息子とはね。アダム・ドライバーを「スターウォーズ」以外では初めて見た。どっちも自然で好感。
ファッションも服装も音楽も憧れのアメリカ70年代を感じられる。
一番の貢献は、誰が見ても頭悪そうなKKK連中が怖さよりもコメディ担当で笑える。
70年代の地方を描きながら、表現手法が斬新で21世紀らしさ満載だった。マイケル・ムーアとスパイク・リーはいつも目が離せない。
資金がなくても手法で魅せる実証をスクリーンずっとやってくれている。
日本の監督たちも続いて欲しい。
90点