映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」(ルパート・サンダース監督 スカーレット・ヨハンセン、ビートたけし、桃井かおり)は、押井守監督版「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」士郎正宗原作を超えたか?
「キングコング」以来やっと映画の日に見に行けた。
GW中の平日、いつもの九州ど田舎シネコンの18時台に約10人。
こんなもんだろう。
本当は「夜は短し歩けよ乙女」を見に映画館に向かっていたが間に合いそうもないので急に変更。
この手のアニメ(エバン何とか、ガンダム、何とか戦隊、アキラとか)が体質的に嫌いで、テレビ放映とか無料でも10分と見ていられない。
だが北野マニアとしては出演だけでも気になるしね。
スカーレット・ヨハンセンは日本でのデビュー作が確かロバート・レッドフォード主演の馬のやつで思春期の美少女を演じていた。
これは印象が薄かった。
父親のいない薄幸家庭の情緒不安定役だったしね。
初めて彼女で驚いたのが、天才ウディ・アレンがロンドンで作った殺人サスペンス映画「マッチポイント」でむせ返る色気を振り向いた事だった。
その後は、マーベル何とかのみっともないバカ映画連発で情けないアクション女優になり下がっていたが・・・
この映画ではどうだろう?日本原作のSFでどう変化しているのか興味があった。
あらすじ)
ネットに直接アクセスする電脳技術が発達すると共に、人々が自らの身体を義体化(=サイボーグ化)することを選ぶようになった近未来。
脳以外は全て義体化された少佐率いるエリート捜査組織「公安9課」は、サイバー犯罪やテロ行為を取り締まるべく、日夜任務を遂行していた。
そんな中、ハンカ・ロボティックス社の推し進めるサイバー技術の破壊をもくろんだテロ組織による事件を解決すべく、少佐は同僚のバトーらと共に捜査にあたるが、事件を調べていくにつれ、自分の記憶が何者かによって操作されていたことに気付く。
やがて、真の自分の記憶を取り戻していく少佐は、自身の驚くべき過去と向き合うことになる。
私はこの手のアニメも、押尾作品も見たことがない。
冒頭の大量殺人シーンの派手なアクションと高速度撮影スローと編集でもう嫌になった。
マトリックス風はほんと時間の無駄。
映画の至福とは対極。
一瞬「帰ろうか」と思った。でも始まったばかりだし・・・と見ていたら睡魔が。
たぶん40分はうつらうつらして帰るキッカケを失う。
たけしの日本語が救いで字幕読まなくていいのはありがたい。
「これ凄いよね」的なアクションは見るものがないが
非アクションの情緒シーン(特に夜景、ビル群、海面)には写真家がよく使う「ルック」があってこれは実に素晴らしい。
どれが実写で、どれがCGで、どこがペイントなのか
さっぱりわからない。
ニューヨーク風でない香港風美術セットがいい味だしてる。
久しぶりに70年代のいい女代表の桃井かおりが見れてよかった。
スカーレットとのシーンはこの映画の救いだな。
たけしは演技者として素晴らしい存在感だった。
シーンは少ないが、凡庸の役者にはない殺気がある。
物語も結末もどうでもいい。
キューブリックのような天才が撮ると全編ルックだらけで、圧倒的な世界観が広がるのだろうが・・・何とも平凡な特殊映像を見せられた的な。
2人の日本人の演技でこの映画は救われた気がする。
50点
修羅の国「福岡」住みですが何か? 「3億8千万強盗事件」とサッカーくじ「BIG」CMのシンクロの不思議さ。
時々言われるのが「福岡、何かと物騒ですよね・・・」
おそらく日本で唯一の特定危険指定暴力団・工藤会(北九州市)が悪さしてたイメージであるのでね。これは仕方ないけど福岡市は100kは離れているし(新幹線で20分)若者カルチャーの発信地だし文化度が高いよね。
と皆んな思ってた。
そんな余裕の福岡市に突如発生した、前回紹介した日本版「ゲッタウェイ」
中央警察署の100M先で繰り広げられた犯行はまさに「白昼の四角」
正直九州の中心にこんな駐車場があるとは私も知らなかった。
直ぐに広域手配されたにも関わらず、様々なカメラに撮られながらも逃げられた警察の大失態。
盗られた金額3億8千万と言う、久々の大金強奪。
同じに福岡空港で韓国人の8億不正持ち出しもあってマスコミ騒然。
と同時に
この事件の直前によく流れていたマツコ&恭子のCMを思い出した。
Jリーグのサッカーくじの自動プログラム「BIG」では、6億が既に334人も・・
実は3年前から私は自動プログラムで楽天とジャパンネットで完全自動でロト、ナンバーズ、BIGなど8種類の公営ギャンブルを少額で続けている。(今その収支をサイトで公開するためにデータを計算している)
事件とBIGは何の関係もないのだけど、何か違和感を感じる
私だけだろうか?
犯人の2人組にはある意味、緻密な計算と実行力、犯罪運もあるのだろう。
金の入手と直後の逃亡には今のところ成功した。
が、やがてどこかで綻びを見せ、逮捕され、裁判にかけられ、刑に服する。
過去の個人情報は丸裸にされ(これは当然大)SNSやブログで地球を回り続ける。その家族はマスコミの餌食になって離散されるのは必定。
出所後の再就職も大変だ。
一方、全自動公営ギャンブルマシンとかしたBIGは(最高10億となったロト7も)iPhoneなどスマホアプリ+ネットバンクで簡単に設定され、ある日突然、生涯賃金の3人分が振り込まれる。
家族の知らないマイ口座に6億だよ。
宮使いから解放され、全ての借金の返済は1日で終わる。
金が金を産む資産形成が始まる。
自分が出来なかったらファンドマネジャーを雇う。
家を新しく買い、別荘を買い、海外旅行三昧で、外車も数台。
もしかして妻を変え、夫を捨て再出発。
愛人を3人くらい10年くらいは養えもするだろう。
犯人は何故犯罪を選ばずにBIGしなかったのだろう。
刑務所に入ったらBIG出来ないだろうが。
銀行側では札束の番号を控えていなかった旨の報道があったが
警察のいつもの手で、安心させて早く市場で使わせるガゼリークだろう。
1等に当たる確率と、捕まる確率と・・・
誰が考えても捕まる方が高いよね。
何故こんなバカなことをするのだろう。
このデジタル時代に発生した、白昼のアナログ犯罪。
そこに大いに興味がある。
実に面白い。
故に、これは映画になる。
さて、北朝鮮からミサイルが飛んできそうなのに
危機を報道しないマスコミと機能停止の国会
同僚の国会議員を愛人にして
元会社の同僚とハワイで重婚する逃走するバカ
ガン治療中の妻に謝罪させ本人は雲隠れとはね。
次から次へと問題が発生しながらも
全てが放置プレーの日本の2017年の春。
映画「博士の異常な愛情」スタンリー・キューブリック監督のラストシーン
ある地方都市で起きた犯罪と、不労所得勧誘CMが妙にシンクロする。
この国はみんな異常ではないか、とね。
新年度早々、社会時評っぽくなってしまったが
映画見れないストレス発散に、時々エッセイ雑文に変更しますので。
傑作映画シリーズ100本|No 002 「ゲッタウェイ」サム・ペキンパー監督 スティーブ・マックウィーン、アリ・マクグロー暴力をスローモーションとストップモーションで描くセンス
映画館には行く時間はないので最近はBSをよく見る。
CMあるとどうしてもリズムが狂うのでNHKオンリー。
今日の昼はペキンパーの「ワイルドバンチ」(1969)ではないか。
もうオープニングタイトルのカッコ良さといったらね・・・詩的過ぎる。
The Wild Bunch (1/10) Movie CLIP - If They Move, Kill 'Em (1969) HD
カラーフィルムが突然止まり、モノクロになりテロップが入る。
もうそれだけでペキンパーだ。
映画のマジックにかかってしまう。
この3年後にマックウィーンと傑作を発表する。
アウトロー夫婦の激しい暴力と愛。
犯罪者カップルは「俺たちに明日はない」など沢山あるが
カッコ良さの次元が違う。
どんな俳優も70年代のマックウィーンとクリント・イーストウッド
には誰も敵わないだろうな、とすら思う。
ペキンパーはここでもオープニングで自在な編集をしてみせる。
ストップモーションでタイトルを入れるペキンパー風はもちろん
短い回想シーンで、刑務所暮らしで敵わない願望が切ない。
イーストウッドと同じくペキンパーは省略の天才なのだ。
とくに出所した直後の公園シーンは本当に素晴らしい。
日本映画のような多くのセルフはないし、またいらない。
傑作映画は基本サイレントなのだ。
ここでも願望を見せて、それを行う
いまこの時、公園にいるのだから。
それはオープニングの敵わない願望と対になっていて
自由を手に入れた喜びと恋人と泳げる幸せを見せる。
何気ないエピソードでも天才が撮ると
スクリーンは映画の至福にあふれる。
清純派から脱皮したアリ・マクグローの演技
琴線に触れるクインシー・ジョーンズの音楽
メキシコ系俳優が多く参加するバイオレンス映画特有のリアルな匂い
ハリウッドともアメリカン・ニューシネマとも違う
無国籍な感覚、ボーダレス感。
ペキンパー(写真右)はこれまでの挽歌(失われる者への哀愁)色を敢えて抑え
らしくないラストシーンを選んだ。
全編リアルな血まみれ映画が、不思議なラブストーリーに化学変化をおこし傑作になった。ペキンパーが詩人と呼ばれる訳だ。
バイオレンス映画と言えば何たってペキンパーだし
70年代のアメリカ映画を代表する一本だ。
映画「キングコング 髑髏島の巨神」70年代時代背景の面白さとCGの出来の良さに比べ、雑な演出にガッカリ!トム・ヒドルストン、サミュエル・L・ジャクソン、ブリー・ラーソン
「キングコング」関連作の日本公開はこれまで10本近くある。その話題作といえば
1933年(初代)
1976年(ジェシカ・ラング版とも言う)
2005年(ナオミ・キャンベル版)
1962年 東宝版
B級感が異常に漂う忘れられた関連作もある。
1986年
「コングの復讐」
「コングの復讐」
初代の大ヒットを受けてパート2が大至急作られ同年公開という離れ業。
このやっつけ感が画面に強烈に漂う。
私の最高傑作は東宝版なのだ。
怪獣は着ぐるみの親しみやすさ、広告代理店キャラのC調感、時代背景の説明のさりげなさ、日本製を差し引いても、シナリオが一番良く出来上がっている。
アメリカ発のコングに、我らがゴジラを戦わさせる戦略は上等だ。
戦争で一回勝った国と怪獣をダシにして第二次太平洋戦争をスクリーンでやる。
そんな日米の映画史にとって大切なコングが久々に帰ってきたが・・・
ベトナム戦争の最末期、調査隊と共に南太平洋の孤島に向かう海兵隊の戦士
これだけで「地獄の黙示録」の再来か、と期待値は上がる。
10台以上のヘリシーンは村を襲撃するキルゴアと重なる。
とんでもないことが始まるファンファーレとして秀逸だ。
早速コング登場してヘリを叩き壊す。
見せすぎなのは訳がある。
続々出てくる巨大生物との戦いが待っているケツカッチンなのだ。
CG処理は凄いな。リアルさは半端ない。
しかし、キャラ立ちがとにかく弱い。
部下思いのジャクソンにはエピソードがないので感情移入できない。
謎の男ジョン・グッドマンしかり、紅一点のカメラマン役もね。
怪獣どうしの戦いが映画のテーマなので感情が入らない。
どっちが勝っても、どう勝っても
「だから、何?」てなもんでね。
島に1944年から唯一、日本兵と残されたアメリカ兵エピソードだけが救いだった。
最後はコングが勝つお約束なんだから人をきっちり描いておかないと、映画に乗れないとわかっているよね! と言いたい。
アメリカ版ゴジラの怪獣勝ち抜きリーグが来年公開で、2020年にコング VS ゴジラらしい。
とにかく死んでいく怪獣がかわいそうで、限りなく超B級大作に成り下がった残念シリーズを長期に渡って見せられる模様。
50点
映画「ムーンライト」フォトグラファー市橋織江が撮影したかの様な昼のハイキーと、夜のハイダイナミックレンジ合成級の美しさ(公開初日最速レビュー感想)バリー・ジェンキンス監督のアカデミー作品賞受賞作
3月31日ともなれば平日でも映画館は子供でいっぱい。
14時からあの怪獣映画を見て(感想は次回)余りの出来の悪さに本日公開作をもう一本見ることにした。
受賞を争った模様の「ラ・ラ・ランド」並みの混雑はなく、金曜18時としては普通の込み具合。
それも納得できる。オール黒人で、麻薬、暴力、いじめ、家庭崩壊・・・と、「ラ・ラ」が売れないとはいえ美男美女の恋愛+サクセスミュージカルとは対極の地味さだしね。
あらすじ)
マイアミの貧困地域で暮らす内気な少年シャロンは、学校では「チビ」と呼ばれていじめられ、家庭では麻薬常習者の母親ポーラから育児放棄されていた。そんなシャロンに優しく接してくれるのは、近所に住む麻薬ディーラーのホアン夫妻と、唯一の男友達であるケビンだけ。
やがてシャロンは、ケビンに対して友情以上の思いを抱くようになるが、自分が暮らすコミュニティではこの感情が決して受け入れてもらえないことに気づき、誰にも思いを打ち明けられずにいた。
何故か面倒見てくれるいいおじさんが、母親に麻薬を売る悪魔の商人という救いのなさ。この荒野の様な家庭と、悪人しかいない町で暮らす訳だから、起こることは悲劇しかない。
最大の見どころはこの映像の美しさだろう。
トリアーやミヒャエル・ハネケなどヨーロッパの巨匠級の緊張感がある。
夜シーンではどこ切り取ってもハイダイナミックレンジ合成の様なクオリティで彩度が異様に高い。
一方で昼の感情シーンではフォトグラファー市橋織江が撮影したような乙女トーンが見える。
デジタル映像なんだけどフィルムで撮影したような色の諧調の豊かさが感じさせる。
実は特殊な処理をして一旦色を抜いて、また色を付け足したらしい。
特に麻薬の売人になった主人公の黒人の体の美しさが生々しい。
悪の道に染まった主人公の心の揺れと映像がシンクロしているので、ストレートに見えてくる。
世界中のどこにでもいる薬の売人を主人公にして、本来なら共感など有り得ない人物にある種のシンパシーを覚える。
85点
次回「キングコング 髑髏島の巨神」
傑作映画シリーズ100本|No 001「欲望 BLOW UP」(1967) ミケランジェロ・アントニオーニ監督 日本の名機35ミリフィルム一眼レフ Nikon F が滅茶苦茶かっこいい。
映画館に行きたくても行けない日々で悶々としているので、家で夜中昔のDVDを見ては気を紛らしている。
そこで見ておくと良いかも知れない100本をランダムにご紹介することにした。
公開当時、世界中で映画ポスターが盗まれたらしいビジュアルの強さ。
これぞ60年代中期のラブ&ピース、麻薬が蔓延していく世界の不条理を描いた時代の空気がぷんぷん匂う。
中判カメラの名機、ハッセルブラッドの美しさ。
(ビートルズのアルバム「アビーロード」など多くのLPジャケット撮影はこのカメラ)工業製品としての完成系を見る。
シャッターと巻き上げ動作と音の美しさ、操作のセクシーさ。
これなら女性も上から乗られても文句はないのだろう。
このカメラマンは何人と寝ているのか?
全員だろうな・・・ここは私と大違い。
この60年代のフリーセックス時代の幕開けの空気感が上手いな。
そしてスタジオを離れ、都市の公園に、中判から35ミリに変えて一眼レフを持ってスナップ撮影を始め事件は起こる・・・
ここで我らが Nikon F だ。
カメラ大国の片鱗をこの映画で決定つけたらしい。
知らないカップルを見つけ、隠し撮りを続ける。
週刊文春のスクープも、やってることはこの映画が原点だ。
都市の中にぽっかり口を開けた緑のブラックホールみたいの存在として。
すぐに女に見つかる。
演じるのは、大好きな映画「ジュリア」フレッド・ジンネマン監督で謎多き主人公ジュリアを演じたヴァネッサ・レッドグレーヴだ。
この顔の知性と裏に隠された淫靡な感じが、大人のヨーロッパ女優だ。
フィルムを返して欲しいという。
突如スタジオに現れ、キスをしたり奔放さを現す。
現像した写真に写っていた謎の影
BLOW-UP(引き伸ばしの意)すると
別のものが写っていて・・・
大都会の公園の片隅に起こった不条理を目撃したカメラマンの震えが伝わる。
私も普段キャノンの35ミリの一眼デジカメを使っているが、時々ニコンF3を一緒に持ち歩くと、このデザインの良さ、手触り感など圧倒的に1982年もの(35年前!)に人気が集まる。
「デジカメは素材で、フィルムこそ本来の写真」
この映画を見るとまずフィルムカメラで何かを撮りたくなるはずだ。
何度もいうが時代が写っている。
基本サイレントで、ハービー・ハンコックのJAZZが流れる。
物語はあって、ないも等しい。
何も解決しない。
しかし何もかもがカッコイイ
「写真は引き算」とはよく言うがこの映画は、カタルシスとか感動とかそういうセオリーを引いてしまった感がある。
カメラマンやっているのはこの映画の影響はあきらかにある。
作家や画家など自己完結するクリエィティブと決定的に違っていて、社会を写してなんぼ。
ある距離感を保ちながら、第三者の、組織の、国家の・・・何かを暴ける武器となるカメラを持って生きる。
しかし覗いたからにはリスクが襲ってくる。
そのスリリングを味わってみたいと。
映画「哭声/コクソン」ナ・ホンジン監督 荒削りパワーのクァク・ドウォンとフンドシで森を駆け抜ける國村隼は「地獄の黙示録」カーツ大佐の存在感を超える面白さに負けた
なかなか韓国映画を見る機会はないが、國村隼が出るサスペンス・・・これは何か映画の至福が降りてきそうな予感がぷんぷんする。
あらすじ)
平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。
彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男につい ての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った 眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く。ジョングは娘を救うためによそ者を追い詰めていくが、そのことで村は混乱の渦となっていき、誰も想像できない結末へと走り出す・・・
地方の村と山しか出てこない。故に緑が多く、美しい。
黒沢清フィルムと似ている。
この感じは好きだな。映画に落ち着きと狂気を与える。
警官ジョングを演じるクァク・ドウォンが魅力的だ。
妻と義母に弱い、情けない、仕事が出来そうにない普通の太った警官のおじさんだけど娘を愛している。渥美清とかフランキー堺の様な昭和の荒削りさと人間力が匂う。
こういう人が主役をやる映画は好きだな。
日本映画も含めてあまり三枚目主演映画は劇場公開されない気がする。
美男美女ばっかりじゃね。
そして謎の日本人役の國村隼。冒頭シーンからもう世界を作っているな。
こういう凄い役者だったのか。
日本映画では気のきいたセリフを必ず言わされる重みのあるバイプレイヤーだけど
今回は韓国語を話さず孤立した存在なので彼の出るシーンだけサイレントになる。
何を考えているのか、どういう過去なのか背景なのか何の説明もない。
これがいい。
娘の異常行動から物語は別の方向へ向かう。
悪霊、エクソシスト、ゾンビ、悪魔・・・
間抜けな警官と仲間たちによる科学捜査を無視した不思議な復習劇
細かな伏線は回収されたかどうかは1回ではわからなかった。
すっきりなんて決してしない。
敢えて語らないスタイル
しかし國村隼の存在感が圧倒的で
コッポラの傑作「地獄の黙示録」カーツ大佐(マーロン・ブランド)に匹敵する。
ベトナムのジャングルには攻める者には戦闘ヘリもナパームもマシンガンもある。
相手には弓矢がある。
この韓国の森に武器はない。
何か得たいの知れない魔力のようなものを感じる。
周囲にたてまつられた神ではなく、すぐそばに住んでいる悪魔的な者の恐ろしさ。
人間と悪魔の線引きの曖昧さを描いたのだろう。
最初に見た勧告映画は確か「シュリ」だった。
南北対立のスリルと恋愛模様がサスペンスを高めハリウッド映画によく似ていた。
以降、多くの映画人を国策でアメリカに送り学ばせたようだが、俳優のパワーとシナリオ、演出の力は素晴らしい。
ナ・ホンジンのキャリアは知らないが、それらの流れとは違う独立峰の感がある。
予測不能、ジャンル分け不可能、見えない社会の井戸を腕力で覗かせるようだ。
過去作も今後も見ておく必要がありそうだ。
85点