「春を背負って」 木村大作監督 松山ケンイチ、蒼井優、豊川悦司 原作)笹本稜平
悪い人が一人もいない別世界の映画
都会で暮らす金融屋が、父の死で山小屋の主人になる。面白そうな物語だ。
松山は近年いちばんいい感じ。
蒼井優が不自然な程に笑顔で、昭和の香り漂う。
豊川がいちばんおいしい役で、人生のアップダウンを感じさせ、説教くさいセリフを関西弁で丸く言う。
小林薫はさすがいつもの渋さ。全体で3分も出てないだろうが山で生きる厳しさを体現する。
時々3000Mの絶景がインサートされ、これでもか!といろんな表情を見せる。
SFX無しのオールロケ=全て実写のリアルティはあるが、この見かけの起伏(山岳映画なのだが)と、ドラマに起伏のないアンバランスな感じと、楽しめない違和感は何だろう。
大きく次の4点
・人間が描けてない
・対立がない
(親子の対立、都会と山、持つものと持たざる者、サービス業と安全管理etc )
・セリフで心象を説明する
・個性とリズムがない
その結果、ぶつかりあわないからドラマが起きない。
起きないドラマをセリフで処理した。
人間描写が薄っぺらで、観客は感情移入できない。
最大の敗因は「脚本」につきる。
1、都会で暮らす松山の心象と生活が描かれない
2.多くの登山者に慕われた父とのエピソードがない
3、父の死と山小屋の主人になる変心が描かれない
4、山小屋の主人で生きていく責任と覚悟が描かれない
(大学生の遭難のエピソードの描き方が中途半端)
5、松山と蒼井との恋愛が描かれない
下界の冗長なシーンが長いのでカットしてでも見せるべき。
ラストがこの映画を象徴する。
松山と蒼井の手つなぎダンスを見せられても・・・
2人の恋愛シーンは皆無なのに、この無理やり感。
ため息しか出ない。
山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」では
出会った3人(高倉、武田、桃井)の過去は丁寧に描いている。
観客はその積み重ねから、ラストの感動につながる。
誰かを幸せにする(高倉と倍賞千恵子)ことで
自分たちが幸せになる(武田と桃井)ことを理解した
若者の成長に多くに人が感動した。
原作「春を背負って」の主張は
都会の生活に疲れた若者が
突然の父の死をきっかけに山小屋を引き続継ぎ
周囲の仲間に支援に助けられて
疎遠だった父の仕事と山小屋の主人の責任に気ずき
登山客を幸せにすることが、自分(松山)の仕事であり
同じ感性を持つ女性と出会い一緒に山で生きていく。
生きがいを見つけ成長した若者像に
観客は、自分はどうだろう?と考え
そうはなれなかった自分を振り返ったり
家族や、知人を重ねたり
山での生活を想像し
それぞれが独自の世界観を作る
そして、生きてるといろんな事あるけれど
それでも人生は生きるに値するなと。
普通に映画化するだけで名作になったのに・・・
この映画に脚本家は3人いる、木村大作、瀧本智行 宮村敏正
プロが2人いながら何故だろう。
フジが制作委員会だから、テレビ放映の尺に合わせカットしたのか?
監督もする木村に、プロが押し込まれたか?
何故、羽交い絞めにしてでもプロがリライトしなかったか?
いずれにしても、この映画の出来は脚本のままだとすれば
この時点で失敗は見えたはず。
プロデューサーはこの脚本を読んだのだろうか?
この本で、優秀なスタッフ、キャストを3000Mに連れていっても
名作は生まれない。
セリフと絶景で、木村大作の主張をしてしまった。
セリフは、観客のイマジネーションを奪う。
いい映画は、みんなサイレントだということを何にもわかってない。
映画人としてその感覚、感性の欠如は致命的だ。
脚本家・演出家の山田洋次とカメラマン・木村の腕の違い。
いい俳優陣と、いい原作、いい背景
「山の日」をひかえて、全国的に山への眼差しがある中で
プロの映画人が、素人が作るような多くの禁じ手を
惜しみなく使ってしまった、2014年上半期で一番残念な映画。
30点
作家・笹本稜平はいま山岳小説でトップにいる。