映画「昼顔」(上戸彩・斎藤工・伊藤歩 監督:西谷弘)不倫映画のくせに元妻感無さ過ぎで、せめてドヌーブの脱ぎっぷりもなく、何ら見せ場の無い凡庸さにあ然。
この映画の予告編が海辺の夏のシーンが良かったので
上戸彩に、嫌な予感しつつも日曜の夜8時
九州のど田舎映画館に出かける。
客は8人。実に見やすい。
3年前のTVドラマ「昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜」は面白かった。
11話の尺が2組の夫婦4人の日常を描きだしていた。
映画はその続編となり、監督もフジ社員監督の西谷だ。
ということは、映画「真夏の方程式」だし、まさか凡庸ではないだろう。
あらすじ)
かつて、お互い既婚者でありながらも愛し合った、笹本紗和(上戸彩)と北野裕一郎(斉藤工)
3年後、離婚して1人になった紗和は、杉崎尚人(平山浩行)が経営する店でアルバイトしながら、海辺の町で質素な生活をしていた。
そんな中、北野は大学の非常勤講師として働いていたのが、ある街で「講演」をすることに。 そして紗和との禁断の再会が始まる。
逢瀬を重ねるようになっていくが北野の嫁(伊藤歩)に見つかり・・・
まず特筆すべきは上戸彩の元妻感の無さだ。
ドラマでの脇との絡みで感じなかったか、今回は一人芝居も多く、生活感、やさぐれ感など女の影をそこはことなく見せないといけない。が、見事にない。
修羅場をくぐったものが持つ重さが見えない。
せっかくの見事な乳房を武器に使うこともなく、映画ファンをなめているとしか思えない。
セクシーじゃないから大人の女と感じられない。
これが決定的に正しくない。
一方の斎藤は理科系の世事に疎い、感情を抑えた、オタク気質を普通に演じている。
伊藤歩もドラマ同様、憎まれ脇役としていい演技だった。
この2人と絡む時には、上戸はよりましになるが
一人芝居が学芸会で、見ているとつらい。
スクリーンの主役が魅力がないんだから、共感はない。
50年前にフランスの名花カトリーヌ・ドヌーブは人妻感満開だった。
監督は映画史にその名を残すシュールリアリストで映画青年なら知らないといけないルイス=ブニュエル。
上戸はTVよりもコードが緩い(R15指定とかできるのに)
映画だからこそ、いい御嬢さんキャラを脱ぎ捨て本物の女優に脱皮できたものを。
Belle de jour - Bella de día - Luis Buñuel (1967) - trailer - razones para verla
所属プロダクションのオスカーにとっては例年、CM女王の上戸の急激な路線変更はドラマが好評だったとはいえ、米倉涼子と唯一無二の2トップであれば、そこはスポンサー離れを恐れ、脚本家井上とフジとの了解事項であるとの推測は業界にいなくとも察しがつく。
上戸は一流のCMタレントで、女優ではないのだ。
周囲がさせないのだろう。
演出上の出来損ないぶりは上戸以上にひどい。
随所に登場人物に主観が余りにストレートで学生映画を見せられているような気がする。BGMのつけ方が雑で、シーンの邪魔ばかりする。
クライマックスがひどかった。
信号機をホタルの光に重ね、甘い思い出から線路上で勝手に倒れほふく前進
やってくる通過列車とのサスペンスで何を描きたいのか?
鉄道会社に恨みでもあるのかな?
全く意味不明
満点の星空を使った悲劇のヒロインもどき一人学芸会はもはや失笑しかない。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
喜劇王チャップリンの名言だけど
この映画は、悲劇でも喜劇でもなく失笑劇という新たなステージに
客を置き去りにする。
意図したのならまだ許せる。
結果のこれは犯罪だ。
さらに謎のラスト
ホタル探しの子供に婚約指輪を発見させて何を言いたいのか?
脚本家と監督の2人でやりたい放題に付き合わされる観客の不幸
シン・ゴジラ制作した市川南がいてこうなるとはね。
東宝は大ヒット連発でブッチギリNO1で浮かれてると
いつか痛い目に合うな。
官能も描けず、社会派でもなく、主人公に共感もなく
ドラマのつまらない続編を金払って見せられる
観客にとっては「真夏のバカ方程式」だ。
「昼顔」などと50年前の名画を名乗るなら
せめてスクリーンでリメークするのならば
(有名とか無名でなく)ドヌーブ級の一流の俳優、脚本家、演出家とやらないと
失笑されて(客にバカにされる)誰もが不幸になる。
日本映画の悪しき典型のような
10点(共演者に罪はないので)
前回告知した映画「美しい星」はいつの間にか終わってしまいました。
田舎の映画館も回転が速いです。スイマセン。