映画「ハイドリヒを撃て「ナチの野獣」暗殺作戦」キリアン・マーフィ、ジェイミー・ドーナン 暗殺映画は面白くないはずがないのだが・・・脚本が弱いとこうなる見本。
東京に住んでた頃は名画座が沢山あって、見忘れてもまた違うところですぐに見れた。
九州ではなかなかそうはいかない。
まず、インディーズ系の専門名画座が町に一つしかない。大手シネコンではまず流通しない。(東宝系はそうでもないようだ)
残念がっていると、知らない内に地方シネコンでこっそり見れたりする。
この映画もそんな感じ。
映画の日に、わざわざ1時間かけてポンコツ運転して40年代のナチ退治モノを見る幸せ。
わかるかな? わかんないだろうな♪~♪
観客はわずか5人、この寒さが丁度いい。
映画にナチスはいまでも頻繁に出てくる。
格好の適役。
ハンフリー・ボガードの「カサブランカ」マックイーンの「大脱走」などアクションから、スピルバーグの「インディー・ジョーンズ」「シンドラーのリスト」SM「ナイトポーター」ビスコンティも「地獄に堕ちた勇者ども」・・・
名作ばっかり。
40年代のナチスは映画のネタとして適役なんだろう。
迫害、異常、変態、恐怖、暴力、支配、理不尽・・・
ヨーロッパには迫害された実話がいっぱいあるだろうから、抵抗の歴史はそれ以上あるんだろうな。この映画もその一つらしい。
あらすじ)
第二次世界大戦中期、ナチスがヨーロッパのほぼ全土を制圧していた頃。
イギリス政府とチェコスロバキアの亡命政は、協力して極秘計画を練り、バラシュートを使って2人の軍人、ヨゼフ(キリアン・マーフィ)とヤン(ジェイミー・ドーナン)をチェコ領内に送り込んだ。
彼らのミッションは、ナチスNo.3と言われたラインハルト・ハイドリヒの暗殺。チェコの統治者で、ホロコースト計画を推し進めていたハイドリヒの暴走を止めるため、1942年5月、彼らはプラハでハイドリヒを襲撃するのだった・・・
暗殺映画の名作と言えば、仏大統領ドゴールの「ジャッカルの日」、アメリカ大統領のケネディの「ダラスの熱い日」などがある。暗殺映画の楽しさは、暗殺者側の作戦のプランニング、実行、修正など、ビジネスでもよくあるPDCAサイクルが廻ることがサスペンスを伴っているのがたまらない。
見つかったら捕まる。ナチスだったら拷問され、必ず殺される。
そのハラハラ感が映画的で劇場でこそ見たいジャンルだ。
この手の映画は、これまで見た名作の例から以下の要素が不可欠だと思っている。
1、プロジェクトの全容を具体的に見せる
2、魅力的な(殺したいほど憎い)敵
3、戦地での愛
4、小さな綻び(プロジェクトの成否に関わる)
今作は全体的にパンチがないな。
まず適役ハイドリヒの残忍さがもうひとつ伝わらない。
エピソードを入れないと感情が揺さぶられない。
”こんな奴、殺せよ”と。
これが弱いままに暗殺プロジェクトが走ってもいまひとつ共感できないのは自明だ。
戦地での愛がまた弱い。
失敗=死な訳だから、生の謳歌は死なせたくない裏返しであり、そこに愛を持ってくるのは当然だけどな。
小さな綻びは今回ない。ハイドリヒの帰国が早まったことはあるが、プロジェクトを見せてもらってないのでサスペンスが起きない。
ナチス相手の暗殺ものは映画の全ての要素が入った面白さの宝庫になるものを、実話通りなのかも知れないが、映画は映画の文法で解釈しないとね。
ほんと映画は脚本が7割。
ダメダメ脚本だけど、セットも俳優も凄くいいし、落ち着いたフィルムの様な色彩設計が戦争の色してる。
もったいないな。
60点
「ジャッカルの日」はこの4つに加えて、ドゴールを守る警察側の動きも加わる完璧な映画となった。 監督がフレッド・ジンネマンだから当然だよね。
70年代初めから乱歩・ホームズ・ルパンを卒業して内外の小説を読み始めたけど、フレデリック・フォーサイスの出世作にして最高作だと思う。
ジャーナリスト出身作家の独特の文体を初めて意識した。リアルで映像が浮かぶ。抜けがいい。
「オデッサファイル」も「悪魔の選択」もよかった。