映画「ミュージアム」 大友啓史監督 小栗旬、尾野真千子、野村周平、市川実日子、松重豊、妻夫木聡
雨上がりの夕方ほど映画鑑賞に合う、と勝手に思っているのでいつものど田舎シネコンに行くと、”シーン”として誰もしない感じが背筋が寒い。
こういう時はサスペンス、スリラー系がぴったりだ。
予告編がやたら「セブン」に似ていて、パクリかオリジナルか判定しようと「ミュージアム」にする。
今回は緑(狂気の色)をキーカラーにして、デヴィッド・フィンチャーイズムをベースに、イーライ・ロス的ホラーをふりかけてるような感じがする。
大友作品はNHKドラマ「ハゲタカ」「龍馬伝」を見ている。”スタイリッシュで音の使い方がうまいな”という感想を持った。
映画は劇場では見たことがない。
何かの端末で「プラチナデータ」を見たが、なんとも中途半端なスッキリしない、カタルシスのない、切れも無いサスペンスドラマだった。
あらすじ)
雨の日にだけ発生する猟奇殺人事件。その方法が残虐極まりなく、犯人の異常性に震撼する。現場には、意味深なメモ「ドッグフードの刑」「母の痛みを知りましょうの刑」など意味深なメモが残される。
警視庁捜査一課の沢村久志は、ある共通性に気づき連続殺人事件として捜査を進める。その中で次のターゲットが沢村の妻と子供とわかり、独自のルートで徹底した手段をいとわない情報収集を敢行し、緊迫した捜査が続く。
ここから沢村VSカエル男との闘いが始まる。
人質に捉えられている妻と子供を救えるのか。
雨、連続殺人、異常な手口、主人公の家庭内不和・・
シーンのいつくかはほぼ模写している。
それは全然かまわない。しかし!
この刑事のあまりの稚拙さと人間的深みが全く見えない。
深みがない時は、経験豊富で知恵を持つリーダーが導き共感できるステージまで”変化”させるのが鉄則だと思うのだが・・
「セブン」で言えば、刑事と言うより詩人であり哲学者のサマセットだ。
天才俳優モーガン・フリーマンが「ミュージアム」にはいない。
黒沢の「野良犬」でいえば志村喬
高校生にも見える小栗旬はあまりの存在感が薄い。
言葉が軽い。
セリフだけがカッコつけている。
小栗の演技力と言うよりもキャスティングミスだし
脚本(大友啓史)がダメ。
映像は部分部分には確かにカッコいい。
が、この監督は自分の映像美に酔ってるな。
主人公の心情は伝わらないが、そこは十二分に伝わった。
途中、音量が大きくてセリフが聞き取れない。
小栗に心情を吐露させるナレーションに至っては最悪だ。
主人公の内面の声を観客に聞かせてどうするよ。
だから感動を産まない。
急にレイモンド・チャンドラー要素を入れてもね。
それは主人公は本物の一匹狼で、仕事ができて、自己抑制的な
男の中の男だから観客は許す訳で。
語らせずに”見せて”観客自身に感じさせるのが映画だろうが
何にもわかっていない。
「ハゲタカ」ではそれが出来ていたけどね。
数話連続で尺がたっぷりとれ、優秀な脚本があって、視聴率とは無縁なNHKドラマだから可能だったのかな?
(後姿が市川)
一部俳優陣はよかった。
捜査の指揮をとる松重豊(彼が主人公ならモーガン・フリーマンなしでもこの映画は成立できたと思う)の存在感。
これから彼は本当のモーガン・フリーマンになる予感がする。
極めて共感度の高い人だ。
グレゴリー・ペック級の日本のエンタメ界では唯一だ。
演技力というより人間力だと思う。
そして今花咲いている感がある女医の市川実日子のミステリアス感(彼女主演でミステリーが見たいな)
最近の妻夫木の凄味を今回は感じなかった。
「羊たちの沈黙」犯人のようにもっと出番を減らして印象的なホラーシーンのみでよかったような。中途半端な描き方で家庭内トラウマの被害者像がぼやけた。
監督が見せたい映像を見せただけの、2時間のマスターベーションにつき合わされ、ただただ途方に暮れた。
当然のように共感も、カタルシスも、何もない。
金返してくれ。
5点(松重と市川が見れたので)
1日立って段々と腹が立ってきた。
Nスペの宮崎駿の怒りがよくわかる。
人間性の欠片もない犯人を見せるのにハンバーグミンチを持ち出した。
映像の為ならこんな下品で薄汚い作品を作る映画人は受け入れがたい。
極めて不快だ。
次回は今年度最高傑作の名を欲しいままにする
「この世界の片隅に」
私の人生初、アニメで薄汚れた心が浄化されるか?