批評サムライ  ~映画・ドラマ・小説・エンタメ ★斬り捨て御免!~

責任が何でも曖昧なこの国で娯楽くらいは白黒ハッキリ!大作も小品もアダルトも興業収入も関係ない。超映画批評にない「上映途中の居眠り」が特技。シネマハスラー宇多丸氏、たまむすび町山智浩氏、シネマストリップ高橋ヨシキ氏を見習って公開初日最速レビューを心掛け評価は点数制。地方在住フォトグラファーがど田舎のシネコンでネタバレあり&あらすじ&見たまま感想ブログ

映画「エヴェレスト 神々の山嶺」 岡田准一・阿部寛・尾野真千子

次の映画の日
「エヴェレスト 神々の山嶺

と決めて楽しみにしていた。

 

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インフォメーションがカッコいい。

連載開始から20年以上!その間、国内外で映画化オファーが殺到しながらも、そのスケールの壮大さから成立に至らず、まさに“映像化不可能な小説No.1”と言われ続けてきた夢枕獏の世界的大ベストセラー「神々の山嶺」が遂に奇跡の映画化! 日本映画の“最高峰”ともいえる作品がここに誕生した! 標高8848M、氷点下50℃、最大風速は50M以上、呼吸すら困難な、まさに“極限の世界”エヴェレスト。本作では日本映画史上初、実際にエヴェレストの標高5200M級での撮影を敢行! キャスト、スタッフ共に10日間掛けて高度順応しながら登り、1か月以上にわたるネパール・ロケに命懸けで挑んだ。「この作品のために、これまでの人生があった」とキャストも語るほど、この圧倒的な自然との対峙からドキュメンタリーさながらの迫力ある演技がうまれている。エヴェレストの厳格にして神秘的な存在感が人間のドラマを豊穣に彩り、力強い映像が観る者の心に迫る。

 

この文章からは、この映画が傑作の仕上がりが想像されるではないか?

 

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物語)

1993年ネパール、カトマンドゥ。2人の犠牲者を出して失敗に終わった、日本のエヴェレスト遠征隊。カメラマンとして参加した深町誠は、目的だった写真集もキャンセルになり、喧騒の街を独り彷徨っていた。ふと立ち寄った骨董屋で古いカメラを発見、それが1924年にエヴェレスト頂上を目指しながら行方不明になったジョージ・マロリーのものである可能性に気付く。だが深町の前に、アン・ツェリンというシェルパとビサル・サルパ(毒蛇)と呼ばれる大男があらわれ、そのカメラは自分たちから盗まれたものだと持っていってしまう。眼光鋭いビサル・サルパに、深町は見覚えがあった。彼こそが数年前に消息を絶った孤高の天才クライマー、羽生丈二であった。  マロリーのカメラを、なぜ羽生が持っているのか。帰国した深町は山岳史を塗り替えるスクープを追うべく、まず羽生の過去を調べ始めた。かつての山仲間・井上真紀夫は羽生の天才的な登攀センスを称えながらも、人間は最低だと言い捨てる。そんな羽生を唯一慕ったのが、山岳会の後輩・岸文太郎だった。だが羽生と岸が二人で登攀中に、岸が落下して死亡。羽生がザイルを切り自分だけ助かったという噂が立ち、以来羽生の山は単独行になっていった。  羽生の過去を追い続ける深町のもとに、岸の妹・涼子が訪ねてきた。文太郎の死をきっかけに羽生と交際していた涼子もまた、自分の前から突然消えた羽生を探していた。涼子の紹介で、羽生のライバルであった長谷渉に会った深町は、羽生が冬のグランドジョラスで滑落し骨折しながらも、片手片足と歯だけで奇跡の生還を果たした話を聞く。かつて共にエヴェレスト遠征に参加し、羽生の山への熱情を目の当たりにした長谷は断言した。「どこにいようと、羽生には山しかない。きっととてつもないことを狙っている。羽生にしかできないことを」  深町は涼子と共に再びカトマンドゥへ向かった。羽生の居場所を突き止めたが、彼はこの地で妻と子を持ち、別の人生を歩んでいた。涼子は羽生の無事を祈りながら、身を引く覚悟を決める。一方深町は、羽生が“冬季南西壁 単独無酸素登頂”という、前人未踏の登攀を計画していることを知る。深町は羽生の挑戦を見届ける決意を固め、ベースキャンプで羽生を待ち受けた。「俺を撮れ。俺が逃げ出さないように」。そう言い放って独り山へ向かう羽生を、カメラを構えた深町が追う。 世界の頂へ――彼らは生きて帰ることができるのか。命を削って挑むその先に、果たして何があるのか。

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岡田と阿部が共演する・・・

映画界に潜むチャラ男どもとは一線を画し、名前で客を呼べる

存在証明を見せてくれたのだ期待したい。

 

2年前の木村大作監督の映画「春を背負って」の出来損ないぶり以来の

日本の登山映画だし、あの時の無念を晴らして欲しい。

(この映画に批評は最初の方に載せてます)

 

映画の日の今日4月1日

満を持して、見た。

 

何だこの映画は・・・・・・

見事な出来損ないだった。

 

まずミステリーを回収しないこと

 

岡田が、ジョージ・マロリーのカメラをカトマンズで発見する。

エヴェレスト初登頂に成功したのではないか?

冒頭の謎として誰でもわかりやすく

引き込まれる設定が秀逸だ。

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そこで、カメラを持ってきた謎の登山家(阿部)
の過去を日本で探る。 

ここで非道な登山家像と愛した女性(尾野)が明らかになる。

ここまではいい。

写真家としての、登山家としての岡田が描かれないので

その力量がわからない。故に野心が見えない。

 

「金がない」の一点張りで出版社に無心するだけ。

このセリフ処理が最悪だ。

阿部と尾野の関係が描かれない。

2人の相思相愛の深さがわからない。

だから一緒に阿部探しにカトマンズに行く彼女の気持ちがわからない。

そこに現地妻がいて子がいてショックを受けるシーンが

とってつけたものになり観客はどうすりゃいいんだ。

 

もはやマロニーの登頂ミステリーは隅に置かれ

南西壁・単独・無酸素が成功するのかに焦点を集中させる。

途中で岡田が滑落、阿部が救い出す。

そして一人山へ消えていく。

この中途半端な処理にまたもや置いていかされる。

 

帰国し一人荒れる岡田。

阿部の写真を燃やす謎?

さっぱりわからない。

そもそも岡田の人物像が描かれていないのだから

共感のしようがないのだ。

再度、尾野と2人でエヴェレストへ向かう。

(単独で登坂技術があるとはとても思えないが)

 

奇跡的に凍った阿部と再会。

死体脇にあった阿部のメモを元にした

死体との会話がスタートする。

阿部はともかく、岡田の人物像が不明なので

そのメッセージに揺れる岡田を支持できない。

 

これはなんだ。

クライマックスでまさかの禅問答・・・苦行である。

ここは映画館である。

映画を見にきたのだ。

 

マロニーの死体もあり、ザックの中にフィルムがあるのに

無視してベースキャンプに待つ尾野の元へ帰る。

 

もー何もかもが中途半端だ。

物語の随所に、対立をスパークさせる素材があるのに

人が描かれないのでスパークしないのだ。

 

人物造形しない・できない脚本の出来の悪さが主犯

GOを出したプロデューサーのセンスの無さ

(いつもの制作委員会方式で大手メディアで責任分散だろう)

 

何よりこの脚本のまま演出して公開した監督の無能さ

 

こういう映画だけが絶対に作ってはいけない、という

木村大作クラスの出来損ない殿堂入りだ。

 

0点