映画「15時17分、パリ行き」おそらく世界最高齢の映画監督クリント・イーストウッドの大変化球に戸惑うも「境地3部作」と思えば是非に及ばず
何たって我らのイーストウッド
60年代生まれの映画少年ならバイクに長い脚のせて都会を疾走する「アリゾナ無宿」が忘れられるはずがない。
俳優として好きだけど、監督としてが余りに素晴らしい。
「マディソン郡の橋 1995」の大人の恋愛模様の切なさ
「ミスティック・リバー 2003」の心理サスペンスの探り合い
「アメリカンスナイパー 2014」の戦闘シーンの圧倒的なリアル、などなど・・・
間違いなく映像表現の最先端を世界最高齢監督が続々更新していく様を映画ファンは目にしてきた。
しかも1990年以降じゃほぼ毎年、作品をリリースしていく
自身が率いる制作会社マルパソプロを持っているとしてもだ。
信じられない早撮りの奇跡。
その最新作がひっそり公開されていく。
見に行かずにはいかない。
あらすじ)
2015年8月21日に、554人の乗客を乗せたアムステルダム発、パリ行きの高速鉄道タリス車内で、突如、イスラム過激派の武装したモロッコ国籍の男が乗車してきた。その男は自動小銃を持っていて、無差別に撃ち殺そうとしていた。
旅行中で偶然乗っていたアメリカ軍兵のスペンサー・ストーン氏とオレゴン州兵アレク・スカラトス氏、そして2人の友人であるアメリカ人大学生アンソニー・サドラー氏の3人がテロリストに立ち向かっていく・・・
冒頭でテロリストが現れるが、すぐに3人の少年期に入る。
出会い、学校と折り合いのつかなさ、母とシングル家庭のつらさが丁寧過ぎるほど描かれる。
時々列車内がインサートされるが、3人のこれまでのある意味パッとしない様が描かれる。ドラマの山もなければ谷もない。
やがて成人し、ヨーロッパで再会、パリ行き列車に乗る。
ここから一気に動き出すのだが・・・
これまでのイーストウッド映画にない”奇妙な”味わいをどうしていいかわからない。
これまでのフィルモグラフィーの中で
「許されざる者 1992」、「グラントリノ 2008」の雰囲気に近い。
大アクション、娯楽作の合間に死生観をテーマの渋い変化球を投げてくる。
私は「境地シリーズ」と呼んでいる。
(「ヒア アフター 2010」は余りに明確な主張が強すぎて違う気がする)
本物の芸術家だけが到達するある領域
例えば、織田信長が本能寺の乱で自死の間際に言ったとされる
「是非に及ばず」に近いかもしれない。
善悪でない、受け入れるしかない世界観
(イーストウッドはTM瞑想を長く実践している)
「パリ行き」はシリーズ3作目に位置するドラマともいえる。
起承転結の王道とはかけ離れた構成であることは
神様イーストウッドは百も承知だろう。
ラスト15分の反撃で「人は変われる」を証明するために長々と幼少期を描く
カットできるのにしない勇気
何より役者でない、本物のヒーローにドラマを再現させた信念には驚く
これまで40年近く愉しませてもらった映画人が何をどう撮ろうとついていくしかない。それが私なりのリスペクトだ。
そういう映画人は、アメリカにイーストウッド
ヨーロッパにラース・フォン・トリアーとミハエル・ハネケ
日本に北野武、黒沢清など10人もいない。
今はわからないが70超えたらわかるのかも知れない。
それでいい。
この映画は評価できないし、する気もない。
ドラマであってドラマでない。
ある「境地」を体感する映画なのだ。
だから「是非に及ばず」
次回作はビヨンセと組んだ「スター誕生」のリメイクらしい。
私はバーブラ・ストライサンドが主演の第3作のこの曲が大好きだ。
クリント・イーストウッドは
1930年生まれで5月に、88歳になる。