映画「こころに剣士を」 監督クラウス・ハロ(フィンランド、エストニア、ドイツ)
チケットをラジオ局からもらったので平日11時半に行く。
ヨーロッパ映画で、フェンシングで、時代はソビエト圧政下の50年代。馴染みのないリトアニアを舞台にスター俳優は皆無。これは少ないぞ・・・とおもいきやシニア層を中心に5割入りだ。嬉しいね。
私の好きな要素が満載だ。
ヨーロッパ映画で社会派、SFXゼロの実写のみ、統治国家(社会) vs 抵抗人
ドラマチックにならない筈がない。
あらすじ)
1950年のはじめ、エストニアのバルト海に面した小さな町ハープサル。カバンをひとつ提げたエンデル(マルト・アヴァンディ)が歩いている。元フェンシングの選手で、小学校の体育教師として、ハープサルにやってきた。
校長は、なぜこんな小さな町にと、不審に思うがエンデルを採用する。彼は第二次世界大戦中、ドイツ軍とともにソ連と戦っている。いまは、ソ連の秘密警察から追われる身の上のエンデルにとって、ハープサルははるかレニングラードから逃れて選んだ土地だった。
体制べったりの校長から、スポーツクラブを開くよう要請される。戦時の供出のため、体育館には、スキーの板さえない。エンデルは、体育館で、剣を振る。そこにマルタ(リーサ・コッペル)という少女がやってきて、エンデルに「教えてほしい」と言う。半ば無気力、子どものことをあまり好きでないエンデルだが、マルタの表情を見て、教えることにする。
当日、多くの子どもたちが体育館に集まり、エンデルは驚く。おそらく、フェンシングは初めてという子どもたちである。エンデルは、基本の姿勢から教え始める。しかし、実物の剣がない。エンデルは、葦を刈り、煮て、何本もの剣らしきものを作る。
同僚の女教師カドリ(ウルスラ・ラタセップ)の話によると、スターリン政権の指示で、多くの子どもたちの父親、祖父が連行されているらしい。「子どもたちは、何かに打ち込んでいる間だけは、辛いことを忘れる」とカドリ。
葦の剣での練習が始まる。エンデルは、うまく出来ないヤーン(ヨーナス・コッフ)を、つい叱ってしまう。「先生はぼくたちを嫌いなんだ」とヤーン。その言葉にエンデルは驚き、「必ずりっぱな剣士にしてやる」と約束する。
練習に励む子どもたちを見た校長は、嫉妬なのか、フェンシングの練習を認めないと言い出す。校長は、以前から、エンデルの過去を調査している。やがて、エンデルの素性がどういうものかを知ることになる・・・
主演のマルト・アヴァンディがいい。戦争中にドイツ軍と共に対ソ連軍と闘った戦士の面影を隠し、地方都市に逃れ教師の仮面をかぶる佇まいがある。
終始二コリともしない。
50年代スターリンソ連の圧政下の雰囲気が、街の画面の随所に現れる。カメラの被写界深度を操ってパンフォーカスとボケの妙で主人公の心象風景をわからせる。音楽が控えめだけど刺さるね。
4日前に見た「狂い咲き」何とかの音の使い方とは180度違う。監督は多民族ヨーロッパの文化人だね。クラシック風がマッチする。
同僚の女教師との恋模様、子供たちとの信頼感を縦軸に、身に迫る危機のサスペンスを横軸に、行ってはいけないレニングラードへ向っていく。
至る所にドラマチックを配置しながらも大げさなハリウッド的表現を排して、抑制された空気感で統一させ、ラストへ導く手腕は見事。
子供たちは成長し、主人公は逃げず、彼も成長し、穏やかな希望のエピローグに。
邦画の子供はチャラチャラしてるか、バカの様に見える分
スクリーンの真剣な子供たちの眼差しには浄化される。
私はサムライなので(そのつもり)
「こころに剣士を」はタイトルだけで刺さる。
明日から早朝庭に出て木刀で素振りしたくなった。
90点